建前のはじまり

社会人も早3年目をむかえ、4月で4年目になろうとしている私だが、未だに慣れないのが、「建前」というアレだ。
学生の頃は一人で行動するのが好きだったし、厭世観をこじらせていたし、そのくせなんら生産的な行動をおこしていない嫌な若者であった。
だから今、飲み会などに嬉々として参加している私に、カラオケで盛り上がれる私に、私はびっくりしているのだ。どれだけ社交的なのだろうか。
思うに私は人が好きなのだ。結構。
社会人になり、知らない方と会う機会が増えた。紹介して貰うことも増えたし、他の会社の方と一緒に仕事をすることも多くなった。人見知りの私だが、そのあたりは社会人になったおかげで、随分と解消された。学生のころよりはずっとマシだと思っている。
素敵な社会人を今はたくさん知っている。


しかし、「建前」。
私の思いとは裏腹に、社会人の方と仲良くなりたいと思うと必ず登場するのが「建前」。
残念でならない。

「んじゃ、このあと打ち上げもかねて飲みに行こうよー。美味しいとこ用意したからさ」

先日、仕事先でこんなことを言われた。
私は嬉しくて、「是非!」とこたえた。
そして、仕事はそのやりとりのあとも続き、
仕事が一段落した午後4時。
私たちは職場に帰った。


あれ?
飲み会は?


そう思った私は、帰路の途中、先輩に切りだした。
先輩は苦々しい顔をして、言った。


「建前だよ」


きた。
建前きたよ。
わかんないよ建前。


飲みの誘いは建前。
誘いに乗るのも建前。
断るのは間違えで、
誘いに乗ってそのまま飲み会を期待してしまうのも間違えなのだ。
誘いに乗りつつ、帰る。
これが建前社会の模範回答。


大人の世界はややこしい。
駆け引きがはびこっている。


でも、私ももう大人と呼ばれてもいい年齢だ。
髭だって生やしているのだ。
社会が、大人が、建前を前提に暮らしているのなら、
私も建前のことをもっと知り、
建前とともに手を繋いでいけるような、
そんな処世術を身に付けたいと思う。
私の周りの人は当たりまえに大人の人たちで、
みんなちゃんと建前を駆使している。
いい意味でうまいことやっている。
そして、そんな建前を使いこなす私の周りの大人たちは、
みんな素敵な大人だったりするのだ。
そんな大人をもっと知りたい。


酒。
それは建前という前提をとりはらう手っ取り早い手段でもある。
「ノミニケーション」という言葉の存在理由がわかってくる。
でも、酒に導かれた近道から得た「建前」の先なんて、
たかが知れているのだ。
それはどうでもいいことだ、きっと。


自己防衛のためにある「建前」の先をみてみたい。


私は「建前」をどんどん受け入れたいと思う。
私は「建前」のむずかしさにたくさん恥をかこうと思う。
そしたら、「建前」のことがわかるかもしれない。
「建前」をつかざるを得ない大人の事情がわかるかもしれない。
「飲みの誘い」に「はい」と答え、颯爽と帰った私たちの
先に見えるその人の本音がわかるかもしれない。


だから、
今はただ、



その後の飲み会で彼らはどんなおいしい料理を食べ、
どんなおいしいお酒を飲んだのか。



そのことだけ。
そのことだけが知りたい。