主張のはじまり

私の最近の昼飯事情。
かならず、納豆巻を買うようにしている。
いつからか納豆巻がぐいぐい力をつけ、いまや我が昼飯ラインナップに欠かせない存在となっている。おそらく今渋谷で一番お昼に納豆を食べているのは、間違いなく私である。
私は今更ながら訴えたい。
納豆巻の素晴らしさを訴えたい。
ちょっと3分、お時間下さい。
今から納豆巻のプレゼンをしますよ私。

「御飯であること」

まず、それが素晴らしい。
かつて、私の昼飯の不動の4番がキャベツだった頃。
それはそれは、緑の方面に偏った食事であったと思う。
キャベツとドレッシングと御飯。
おかずがない。
いや、キャベツがおかずだ。
そしてあの頃の私は、そんな食事を嬉々として食べていた。
さらに余談だが、和風ドレッシングは御飯によく合った。
しかし、今、主力が納豆巻であることで私は、
納豆巻とおかず
といった人間らしい食生活を営むことが可能になった。

「巻いてあること」

2点目の素晴らしい点はここだ。
納豆巻は海苔で巻いてある。
一見単純なこの構造に、私は先人の発見に感謝の意をささげる。


「御飯に納豆っておいしいね」
「うん。おいしいね」
「でも、食べにくいね」
「うん。食べにくいね」
「…」
「…」
「これ何?」
「ああ、それ、海苔っていうんだよ」
「へえ」


巻いてくれて、ありがとう。
巻いてみようと思ってくれて、ありがとう。
これにより現代に生きる私たちは、限られた昼休みの時間に、
納豆巻を頬張りながらインターネットを閲覧することが可能になった。

「安すぎること」

3点目はここにつきる。
今日もどこかの商品開発部で新たな巻物が産声を挙げているのだが、
納豆巻は今後もおそらく一番安価な位置を保っているのではないだろうか。
先日も、巻物コーナーにニューフェイスが登場していた。
「サラダ巻き」と「エビマヨネーズ巻き」
しかし、その脇。
寄席文字でデザインされた「納豆巻」の3文字のそのふてぶてしさ。
ある種、暴力と言っても過言ではない圧倒的な安さからくるその安定感に、新人さんたちはきっと1ヶ月持たずして売り場から消えることになるだろう。
巻物界の独占禁止法違反。
巻物界の生き字引。
レジェンドオブ巻物
それが納豆巻。
この生存競争により、我々は今後も安定した納豆巻ライフが約束された。


以上、3つのポイントが納豆の素晴らしい点である。
つまり、現代に存在する全ての事柄が納豆のネバネバでリンクしているのは、賢明な読者のみなさんであれば、自明の理であろう。点と点を線で繋ぐ。あの線は納豆の糸だからね。今日のインターネットをさして、納豆の引く糸、とはよくいったものである。
というわけで、私は納豆巻を素晴らしい食べ物だと強烈にプッシュし、皆さんが納豆巻を買いに走り、経済のアレで、納豆巻がもっと安くなって、おいしくなったらいいなと思っているのである。


しかし、私は、すぐに忘れてしまう愚かな生き物であった。
昼休みごとに訪れる、柔らかなで優しい時間。
それが、納豆巻と共にあることを、私は忘れていた。
納豆巻と決別しても、あの陽射しが約束されていると思っていたほどの平和。平穏。
それが、納豆巻のおかげであることを、私は忘れていた。
まったくもって緊張感のかけらもない、納豆巻に依存した、いや、納豆巻に巻かれて、骨抜きになってしまった愚かな生き物だった。


今日の私の昼飯。
カップラーメン味噌。
私は納豆巻のことを忘れ、ラーメンを食べながら、インターネットをしていたのだが、メガネ、曇る。超曇る。見えない。画面見えない。とアワアワしてたら、おつゆをキーボートにちびっとこぼてしまって、キーボードの溝に汁が入り込んでしまって、私のアイブックが茶色くなって、ちょっとベタついてしまって、私は非常に困ってしまった。
この件は私が全面的に悪い。悪いのだが、カップラーメン味噌のパッケージを見ていると、馬鹿にされているようなムカツキを覚えてきた。
やたらと2倍だ2倍だと主張しているのである。
もやしが生でシャキシャキだとうるさいのである。
なんて、ニギニギしいパッケージなのだろう。
私は納豆巻のことを思い出した。たとえば、納豆がこぼれてしまっても、キーボードに色をつけたりはしないだろう。笑ってひろいあげて、もしかしたら、てへ、などと言いつつ、パクッと食べちゃったかもしれない。そもそも、納豆はメガネを曇らせたりしない。
ただただ、納豆巻は納豆巻然として、食べられるのを待っているのである。主張せず、己の天命を静かに受け入れるのみなのである。


彼は私をゆるしてくれるだろうか。
彼は黙って、今日のことがなかったかのように、振舞ってくれるのだろうか。
彼に学ぶことは多い。
昼飯に哲学の場を提供してくれる彼に勝るものを私は知らない。


明日は彼の唯一の主張に注目しよう。
ちょっと職場の同僚が鼻をつまんでしまうような、
甘ずっぱいかほりが部屋中に広がるようだったら、
それはきっと、
赦してくれた。
ということで間違いない。