2006年のはじまり

昨年末。私はせっかくの休みだからと、私の心の奥底に眠らせていたDの神々をここぞとばかりに召喚したのですが、これが思いのほかくすぶっていたというか、なんか程よく腐ってしまっていたみたいで、競馬とか麻雀とかスロットとかビールとか焼酎とかお寿司とか、私の中のDの神々がお金をじゃぶじゃぶと使ってくれるものだから、神々が喧伝する資本主義へのアンチテーゼにすっかり金銭感覚が麻痺してしまった朝6時。私は自分が恐いヨ。神々たちの狂騒に踊らされた私はふらふらと帰路に着くのだが、そんな私を照らす朝帰りの北千住の街灯のオレンジの明かりは、なんだか泣けてくるような優しさを持っていて、私はその優しさに夢うつつ、ああ、こんな素晴らしい光景が現実のものであるわけないのだ、と立ち尽くしてしばし。どうやら金銭感覚の麻痺と共に、現実感まで失われてしまったようで。しかし、これは奇跡といふのではないのでしょうか。この時間のこの場所のこの光を向こう三軒人っ子一人みえないこの状況を、私がひとりじめしているのは、どう考えても奇跡なんじゃないのかと思ったりもして。というか、よくよく考えてみると30日にあったいくばくかのお金が3日にはないって、そのこと自体が奇跡というか、夢のように思えてきて、私はその淡くて眩しい光に、この年末から年明けまでの私とその周辺を夢と思うことにしました2006年正月。ああ、そうだそうだ。夢にきまっている。なんて長い物語をみせてくれたのだろうか夢。なんて豪奢な私をみせてくれたのだろうか夢。まったくもう、憎いったらありゃしないですね夢ってやつは。
私はそういう初夢を見ました。
そして、ふわふわとゲームを過ごしていたら、今日本格的に仕事がはじまり、お昼を買いにいって、あれ、お金が思いのほかないぞ、ATMをいじっていたら、急速に現実感が戻ってきて、ああ、そうだそうだ、ブログを更新しなくちゃな、と今に至ります。ただいま焦燥感。


というわけで、
諭吉10人を取り返す旅。
2006年、はじまります。