英雄のはじまり

昨日ふらっと入った本屋さんにも、今日の本屋さんにも、手帳コーナーが設けられていた。結構な賑わいをみせている。私は4月切り替えのものを使っているので、その賑わいに混じるのはまだ先の話なのだが、多分今と同じものを購入するだろう。
今の手帳は人からプレゼントされたものなのだが、これが結構気に入っている。
シンプルながら気の利いたページ構成で、使う人使う用途を選ばないのもいいが、それよりなにより一番気に入っているのは、日替わりでページの上部に「えらいひとの名言」が記されているところである。
こういう名言とかを積極的に読んだりするのが、まだまだ気恥ずかしく思う私なので、手帳を使う振りをして、えらいひとの思想の断片たちに触れることが出来るのがなんともありがたい。
たとえば、11/16のマーキー・ド・ヴァベンアーガースさんの名言はこうだ。

偉大な思想は真摯な心から生まれる。

なるほどなるほど。確かにそんな気もしないこともない。傲慢じゃ人の気持ちがわからないもんな。色々な気付きに出会いたいなら、謙虚であることが一番の姿勢だと私は思う。
過去の経験から私が学んだ漠然として曖昧とした感覚を、名言たちは明確にことばにしてくれる。
しかし、油断してはいけない。日々こんなオーソドックスな名言を提供してくれるわけではない。なかにはちょっと亜流の、意味のわからない名言もあったりする。
11/14のオリバー・エドワードさんの名言。

哲学者になろうとしてみたが、いつもなぜだか快活さに邪魔される。

なんだこれは。土曜深夜のしりとり竜王のアレか。いとうせいこうにお題を出されるオリバーさん。「○○だが、○○」のしりとり、用意はじめ! みたいな。
もちろんコミカルな名言もある。11/29のウェリントン公爵の名言。

私が唯一恐れるのは恐怖心だ。

オヤジギャグじゃないのかこれは。新橋の居酒屋で小一時間飲んでたら、2、3回は耳にしそうな名言である。
わからない名言も、たぶん私がもっと年を重ねたら、なんとなく身にしみてわかってくるのかもしれない。小学校の先生が私たちに言っていたことが、今になって、なんとなくわかってきた感覚に似ているのだと思う。と、共感できるものもでないものも、私はこんな感じで名言たちと語らいながら、楽しく日々を過ごしているのである。
であるのだが、今日のそれは今までみてきた中でも、だまって見過ごせない、楽しく語らうことの出来そうにない、ものすごい何かをもっていました。
その名言。
12/14のラルフ・ウォルド・エマーソンさんはこう言う。

英雄が普通の人より勇敢なのではなく、
英雄は5分長く勇敢なのだ。

いいのか。
これでいいのかラルフさん。
この名言を載せていいのか手帳メーカー。
英雄をこんなにお手軽にしちゃっていいのか。
しかし、ラルフさんの名言にかかれば、5分長くテクニシャンなら、加藤鷹さんになれるし、5分長く「へえ」と相槌をうったら、タモリさんになれる、ということになる。
そんなのいやだ。
そんなんだったら、ちょっとした我慢で、みんな加藤鷹さんでタモリさんになれてしまい、それは大変な世界です。言葉責めの世界です。
しかし、先ほど書いたように、後々この名言が身に染みてくることもあるかもしれないので、理解出来ないと言うよりもまずは実践あるのみ。5分長く勇敢だったら、私も英雄になれるかもしれない。と、私はいつも以上にいきりたって席を立ち、勇ましく歩を進め、トイレに向かい、扉をいつも以上に激しく閉めて、トイレットペーパーをしっかり三角折りにしていたら、5分たっていたので、私も英雄の仲間入りをついに果たした。と意気揚揚だったわけだが、何も状況は変わっていないので、ラルフさんの言葉は、やっぱりありえない、と思った次第。まだまだ私は若いのだろうか、とちびっと嘆いてもいたのである。
でも、よくよく考えてみると、みんなトイレに行くときは勇んでいるのかもしれない。私のやっていることは別に5分長く勇敢だったわけではなく、みなさんとやっと同じスタートラインに立てただけにすぎないのかもしれない。と思ったら、私の見る限りみなさんは日々勇敢でいらしゃっていて、職場内の行動はもちろんのこと、たとえば、満員電車の位置取り合戦でみせる勇敢さや、昼飯で入った中華料理屋のスポーツ新聞の取り合い合戦でみせる勇敢さ、居酒屋での店員さんに注文をお願いする時に発生するほかのお客さんとの「すいませーん」合戦でみせる勇敢さなど、職場以外でも一日中勇敢でおられるので、私だけは、1日が24時間と5分でないと、英雄にはなれないんじゃないのか、と思ったわけです。というよりも、そもそも、勇敢であるなしの線引きも非常にわかりずらい。


ラルフさん、ゴメン。
全然、お手軽じゃなかった。
英雄になるためにはそれなりに困難な道のりがあるのである。というか、なきゃこまる。
今日は福島の方に出張で、家に帰るまでの間、私はラルフさんの名言と語らっていました。その時間、4時間弱。およそ240分。つまり5分が48回。私はいつもより、48日分もおおく先人の哲学に思いを馳せていたわけで、今日考えていたことは、先々意味を持つのかもしれないが、やっぱりちょっとやりすぎだと思った。




それなら、哲学に思いを馳せる時間を30分にして、
残りは誰かと食事でもしながら会話を楽しむ時間にしたい。
わかるわけもない他人を意識し、あくせくするよりも、
私は、昨日の自分よりすこしだけ豊かな今日を送りたい。
そこに多くの気付きがあり、哲学に変えていくのだと思う。



おっと。
普段の素直な感情を、溢れ出てしまう5行についつい記してしまいますね。
そんな「誠実で謙虚で思いやりにあふれている」が服を着て歩いているともっぱらの評判の私。



あ。
なんだ。
そういうことね。
なるほど。
うんうん。
ラルフさんの言いたいことが、ちょっとだけわかるなあ。