田舎のはじまり

夏休みの何日かを使って、田舎に帰っていた。
夏。田舎。
なんかその単語だけで、JRのCMの世界に旅立ちかねないポテンシャルを感じさせる。
が、現実はそんな甘いものではなく、行きの車中5時間でかいた寝汗が、そんな素晴らしいエルドラドへの旅立ちを許してくれそうになかった。
田舎に着く前から、もう帰りたくなっていた。



散歩とか、釣りとか、海とか。
オレは、そんな田舎ならではのスタンダードな過ごし方をまっとうしていた。
ああ、この道を歩いて、夏祭りに出かけたなあ。
ああ、この磯のにおい、おじいちゃんとよく港に来たなあ。


うん。
一日で飽きた。
ノスタルジックに浸って涙を流すほど、人間関係に行き詰まってもないし、日常に悩みなんてない。
二日目にはもう情景に求めるものなんてちっともないし、というか退屈だし、外は東京と変わらないぐらい、日差しは暴力と化していたし。もはや、外に出る理由は無い。
そんなわけで居間でだらだらと甲子園を見ていたオレに、いとこは言った。

「イオン、行くっか?」

イオンって、あのジャスコ系列のイオンですか?
『イオンお客様感謝DAY』のイオンですか?

「イオン、でけーぞー!」

いや、でかくてもあんまり魅力が感じられないんですけど。

「しかも、24時間営業!」

車で20分かかるところで、24時間営業の便利さを謳われても微妙なところだ。



と、胸中では文句たらたらであったのだが、居間に居ても、何か楽しいことがあるわけでもないので、いとこの誘いに乗って、そのイオンに行ってみることにした。


「このバイパス沿いに、イオンがあんだぁ」

むぉっ!出たな!「バイパス」め!
この「バイパス」という言葉が無性にオレのムカムカ琴線に触れてくれる。一度だまされたと思って、3回ぐらい繰り返して声に出してほしい。
ホントむかついて来ないだろうか。
「バイパ」の部分でバカにされている感がある。「パ」が良くない。「バイ」と力んでは見たものの、その勢いをすぐに撤回するこの「パ」。振り上げたこぶしはこの「パ」の気の抜けた響きで行き場を失うのだ。そして、そこに畳み掛けるように「ス」だ。行き場を失ったこぶしには、ただただ降ろすしかない。「ス」はもはや諦めの境地。仙人の悟りである。
モチベーションのベクトルを弄んだ上に、とことんダウナーに陥れるこの「バイパス」。東京ではまず聞かないこの「バイパス」。

「またさぁ、駅の方のバイパスに、いいパチンコ屋があんだぁ」

「バイパス」のこの柔軟性がさらに腹立たしい。こんな田舎で何をファンづくりに必死なんだ「バイパス」め。この勢いだと「100円ショップーバイパス」「行列の出来るバイパス」「バイパス50%OFF」などといった形で、今後「バイパス」が、オレの田舎を席巻することは目に見えており、オレはこんなに語っておきながら、正直意味もわからないし、調べる気も毛頭無いこの「バイパス」という単語に、オレはオレの田舎を危惧しているのである。
オレの田舎。
「バイパス」地獄。
と、オレが脳内での「バイパス」と闘いに思いを馳せていたら、車はイオンに着いた。



「イオン Super Center」
ん?
なんだ。「Super Center」ってなんだ。
しかし、すぐその単語の意を了解した。折角、デジカメを持ち歩いていたのだが、驚きと興奮でカメラを取り出すことを忘れていた。



デカイ。
無駄にデカイ。
無駄にデカイと思ったのは茨城県中心に営業する「ジョイフル本田」以来だが、あそこはホームセンターだ、ここはホームセンターではない、「イオンお客様感謝DAY」のイオンである。イトーヨーカドーとか、ダイエーとかと同じくしてのイオンである。
しかし、そこにあったのは
「東京ドーム○○個分」
と、例えを効かせることの出来るイオンであった。
店内を一周したら確実に疲れるイオンであり、爺さん婆さんは確実に一周出来ないであろうイオンであった。正直、お客様感謝ベクトルの方向が間違っていると思ったイオンであった。


近年の帰省は、日々の疲れを癒すなんて、そんな牧歌的な風景などは皆無であり、日本の「田舎」と呼ばれる至るところで繰り出される「飯を死ぬ程喰わされる」というもてなしが存在するかの如く、
謎。
そう、田舎に帰省するたび、オレはその蔓延する謎ばかりに焦点があい、そしてその謎は深まっていくばかりなのである。
今回のそれは、
「バイパス」との親和性であり、
「イオン」の見果てぬ地平であった。
そんな謎の中で、前向きなベクトルの新しい形をオレは見つけた。



諦めではなく、
寛容。
オレの田舎は宮城である。あの宮城県地震の時も、彼らが日本の誰よりもヘラヘラしていたと思った。テレビが落ちようが、地面にひびが入ろうが、どうにかなんべ、と寛容。



と、書いてみて思うのだが。
あまりにも暇過ぎたので、帰省に価値を持たせたがっているのかもしれない。
この寛容さを受け入れるかと問われたら、ちと微妙である。
「バイパス」や「イオン Super Center」を受け入れる寛容さなんてちっとも羨ましくない。テレビが壊れたら困るし、地面にひびが入っていたら、つまづいてしまうのである。
どうにかなんべ。じゃないだろうに。



そう思っていた。



帰省した次の日の晩にじいさんが心不全で死んだ。
オレの家族を待っていたかの様に、顔を見せた次の晩に急に容態が悪化し、そして亡くなった。すぐに通夜を行い、火葬を行い、葬儀を行った。レンタル衣装屋で礼服を借り、ファッションセンターしまむらでYシャツを買い、「イオン Super Center」で靴を買った。あわただしい帰省になった。
そんな中での、彼らの寛容さ。
ピリピリとした慌しさの中、彼らの寛容さがとても救いでもあったのだ。



田舎の癒し。
もしかしたら、うざったく感じたこの寛容のことを、こう言うのかもしれない。