運転のはじまり

自動車が苦手だ。
車ことを考えただけで憂鬱な気分になる。
維持費が云々。
いやいや。
それ以前に、危ないじゃないか。と、単純に。
危ないですよ車。
みんなは、車の危険さをどんだけ意識して運転しているのだろうか?
すごく気になる。
だって、思いっきり駆け出したい衝動に駆られたとする。運転中なら、アクセル思いっきり踏んじゃう位の衝動。
→激突。
おっ。って街を歩いていて、面白そうなものを発見したとする。運転中なら、ブレーキいきなり踏む位の発見。
→追突。
とても嬉しいことがあって、わーいわーい。って喜びのあまり、スキップしたとする。運転中なら、ハンドルを左右にグリングリンするぐらいの喜び。
それって。
なんかもう想像がつかないぐらい、大変なことになるんじゃないだろうか?



そんな運転ですが、こういった喜怒哀楽を押し込めた先には、便利や快適さがあるらしい。



でも、ホントに快適?便利?



都内に住んでいるなら、電車とバスとタクシーでどうにかなると本気でオレは思っている。
18歳になっても免許をとろうなんて、全く思わなかったし、22歳になって、就職活動で不利になるよ、なんて言われても、全く行動を起こさなかった。
だって、電車とバスとタクシーがあるじゃないか。
駐車場はどこだろう、なんて考えている時間が不毛だ。
電車に揺られながら、本をいっぱい読みたい。
バスの車窓から見える景色で、次の休日のことを考えていたい。
時間は少しでもこういうことに使っていたい。



オレは、23歳で免許を取った。
それは、まったくもって自発的じゃない免許の取り方だったもんだから、免許を取っても、まるで運転しなかった。行きたいところは電車で行けた。



最近、仕事で車を使う機会が増えた。
「車を使うと世界が広がるよ」
と、先輩は言う。
オレが、運転することで見えた世界は、
都内は狭かった、ということと、
車は思っていたよりもっと危なかった、ということ。
そして今日、2回、事故りそうになって、
車、非常に危ないです。と認識する。
オレが危ないのか、と思ったりもしたけど、オレ、歩いてて、2回も死にそうな目にあったことないから、やっぱ、車が危ないんだと思う。



まあ、2度死にそうになって、それでも無事に生きて返ってこれたっていうことは、オレは選ばれし人間なのかなと思って、つまり、運転がもたらした生死の境を経験することで、先輩のいうところの世界の広がりってヤツが見えたのかなと思って、オレ、自動車で開眼したのかなと思って、久しぶりにスロットに行ってみると、全然オレ選ばれてない、ということを思いしらされて、オレ、ますます、自動車は苦手です。