深読みのはじまり

http://d.hatena.ne.jp/tainaka/20050614
<要約>
「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」の違いを新人研修で勉強した彼であったが、自分の将来はここにはない、と一ヶ月でそのスーパーを辞めてしまう。だが、再就職もうまく行かず、今はコンビニのアルバイトに明け暮れる日々。果たして自分は前進したのかしてないのか。そんなネガティブな葛藤の中、彼は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」の表記を発見してしまう。たったそれだけの日本語の違いが、自分の未来を変えてしまっている、そんな日本語の難解さに、彼はやり場のない怒りであったり、哀しさや虚しさであったり、様々な感情が入り混じって、彼は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」の表記の前で、ただただ呆然と、その日本語を眺めるのであった。

彼の今後を考えてみた。
有り余る電車の移動時間。奥多摩の山々を車窓から眺め、オレは眉間に皺を寄せながら、彼の今後を勝手に考えてみた。



日本語は確かに難しい。
しかし、tainakaさんがこのブログで言いたいことは、日本語の難しさを憂うことではなく、結局ここなんだと思う。

もはや、人生を豊かに生き抜く事は諦め、コンビニでバイト

オレの将来かと思った。
それも近い将来。
今ですら、すごく近いところを並走している感がある。
もはや、他人事ではすまされない。
そんな身に詰まるものが、このエントリーにあった。
だから、オレは考えてみた。
彼がこの先うまく生き抜いていけることを想像出来るなら、オレも多分、この先、やっていけるはずだから。



tainakaさんは彼の履歴を

社会経験はゴミの分別を覚えた事のみ

という。
彼はそれがネックになり、コンビニでもってひどい仕打ちを受ける。
日本語の難解さや曖昧さに巻き込まれた自分を、認識してしまうのだ。
オレがここで彼に提案したいのは、



巻き込まれたのを生かせ!コノヤロ!



ということ。
つまり、
「燃やすゴミ」とか「燃えるゴミ」とかを、新人の時の有り余るエネルギーで考えたことを生かせ!ということ。
「燃やす」のか「燃える」のか。
彼はおそらく、その問題に関しての考察量は日本一であると思う。
新人のことだ。
家に帰ってからも、復習するに違いない。
「燃える」「燃えない」豆単カードとかを、せっせと作成し、通勤電車の中、
「これは燃える」
「これは燃えない」
と、ブツブツと言っていたに違いないのだ。



じゃあ。
その経験。
生かしましょうよ!



「環境思いやり課」



「生活いきいき課」(だったと思う)という課に所属している友人が居る。
んじゃ。
どさくさに紛れて「環境思いやり課」もつくってしまいましょう。
どこの企業も今、イメージアップのために、環境対策に力を入れている。
だから、「環境思いやり課」なら大丈夫。
むしろ、「いきいき」より「思いやり」の方がグッと具体的だと思う。
なかったら、つくればいい。
採用されなかったら、
「この企業はまるで粗大ゴミですね」
とかなんとか、捨て台詞をはいてやればいいんだ。
彼は再就職に関して、妥協はしてられない。
「いつでも戻っておいでよ」
と、コンビニの店長は言ってくれるが、いつまでも甘えているわけにはいかない。



燃えるとか燃えないとかの判断に関しては、彼、「環境思いやり課」の彼に聞け。



彼の今の目標はこうだ。
燃える燃えないの第一人者。
時代が時代なら、
「トラッシュ コーディネーター」
と賞賛されるに違いない。



すぐに芽が出ないかもしれない。
なにせ、新しい業種だ。
でも、彼には決して腐らないでほしいと願う。
自分にしか持ってないスキルを認識すること。
そのスキルを生かす方法を知ること。
そして、それで生活が出来るようになること。



その3つが彼ならきっと出来ると思う。
ネガティブからスタートしたネックが、今じゃ彼という人物を構成する一つの武器だ。
ってか、近い未来のオレは、彼そのものなので、そうでもしてもらわないと困る。

日本語の難しさが、一人の人間を陥れる未来は、そう遠くないかもしれない。

確かにそう思う。
難しさや曖昧さを真面目に吟味してたら、きっと陥れられる。
もし、陥ってしまったら、その要因を考えてみることが大事だ思う。



がっぷり四つに組み合って、すくい投げとかで、豪快に日本語を投げ飛ばしたい。
「環境思いやり課」を大真面目にを提案する彼。
土俵際まで追いつめられて出てきた
「環境思いやり課」



採用されるのか、されないのか。
あとは結果を待つのみだが、
彼は今、自分が持てる出来る限りのことをやっているのだ。
ダメなら、彼は自分の思想を出版化する方法もあるので安心だ。
あー、よかった。



ほんと、良かった。