Aのはじまり

art

芸術。
ある決まった材料・様式によって美を表現する人間の活動とその産物。文学・絵画・彫刻・音楽など


芸術の都とか言われちゃうぐらいのパリなものだから、当然、パリには、それはもう、美術館や歴史的建造物がこれでもか、といわんばかりの勢いで立ち並び、誰に対抗しているのかわからない怒涛の芸術エネルギーを放出している。

例えば、全部じっくり見たら一週間はかかると言われている、ルーブル美術館
なんせ、一週間だ。
一体、何を企んでいるというのだ。
一週間かけて何をさせようというのだ。
もはや、そのスケールが芸術だ。
フランスに行って何一つ前向きな観光を、自発的にしていないオレだったが、ルーブル美術館には行ってみた。
鳥肌がたった。
さすが、一週間を騙るだけのことはある。
1階は彫刻がメインなのだが、その彫刻たちが、まるで放置されている状態なのだ。展示ではなく、放置。彫刻と彫刻の距離感が明らかにおかしなことになっている。芸術と称される彫刻を縫うようにして歩かないと前に進めない。最後の方はちょっと邪魔にすら感じてしまう、そんな芸術。3階建てのルーブルの1階部分でオレは打ちのめされていた。芸術の扱い方が明らかにコントになっていた。芸術のインフレ状態であった。



何万人が被害にあった。
などと言われると、全く想像が働かない状態に陥ったりするが、それと似ている。
2階3階とフロアを上がるにつれ、オレは、芸術に思いを馳せることに疲れていた。
疲れる芸術。
それもまた一つの芸術なのだろう。
芸術の都パリは、オレに新しい価値観を押し付けてくれた。



フランス人は、芸術を特別視してないはずだ。
彼らにおける芸術は、疲れる芸術なのだから。
わざわざ思いを馳せたりしない。
たまたまそこにあったものが、たまたま芸術と称されている。それだけのことだ。



パリの中心部には、オペラ座がある。
オペラ座周辺には、ブティックやカフェが乱立し、オペラ座周辺はフランスの若者にとって、日本でいうところの、渋谷や新宿、池袋と同等の意味合いがあると思う。
そんな彼らはオペラ座という歴史的建造物の階段に腰掛け、待ち合わせをする。バックにオペラ座を従え、彼らはマックのハンバーガーを頬張る。
そんな光景が痛快だった。



浅草の文化と共存する人たちの風景を美しいと感じたことがあったが、
パリのそれはもっと洗練された、日常の風景だった。



「芸術」なんてものはない。
文章、音楽、絵画、建築。
それらは「芸術」というあるから、はじめて生み出されるものなのかもしれないが、
「芸術」は「芸術」で、それらに寄り添って、はじめてやっと認識される、
そんな、か弱いものなのだ。



生きていければいいじゃない。
そんなことを言っているような気がした芸術の都。
芸術の都でありながら、芸術とはなんぞ?とメッセージを発するトップランナー
そんな彼らの意識からにじみ出る生活に、鳥肌が立つ。



価値観が覆される風景。
そしてオレは、そんな風景が、一番美しい、と感じるのだ。