Rのはじまり

rire

動詞。「笑う」の意。
je ris〜,tu ris〜,il rit〜,nous rions〜,vous riez〜,ils rient〜,
以上、変化形。
というか、穴埋め。


文化の違い。
ああ、文化が違うんだな。
と明確に認識するきっかけというのは笑いにあると思う。
居酒屋で聞こえてくる、おお、どうだ、オレの話、面白いだろ?と言わんばかりの大音量で聞こえてくるおっさんの話が殺人的につまらないのも、彼の生きた時代と環境がオレの生きたそれとは違うからなのだ、と思って済ませている。おっさんのまわりのおっさんはゲラゲラ笑っているところので、育った文化の違いというのを、オレは意識する。
理解は出来ないが、そういうものがあるのだ、とオレは認識する。



「フランス人はどんなことで笑うのだろうか?」
フランスに行ったときいくつかテーマを設けたが、彼らの笑いどころ、というのもその一つであった。
異文化の笑いに目を向けることで、自らの立ち位置が明確になればいい、とそういった目論見だ。



とはいえ、
オレはフランス語が分からないので、彼らが言葉遊びなどでニヤニヤしていたらお手上げなのであるので、例えば、モノマネなどがフランスのツボなのであれば、ムッシュが声色を変える瞬間を聞き逃さないようにしたし、シムケンのような体の動きや顔の表情で笑わすのであれば、そのオーバーアクションを見逃さないように心がけた。異邦人が見てもわかりやすい笑いを取りこぼさないよう、オレは細心の注意を払って、パリの街をぶらぶらしていた。



パリ市内を移動するとき、頻繁にメトロを使った。
凱旋門に行くときも、エッフェル塔に行くときも、オペラ座周辺で買い物するときも、メトロを使えば、出口が目的地に直結しているので、メトロはとても便利だった。
そこでは、当たり前なのだが、フランス人のグループをたくさん見かけた。家族。学生。社会人。日本で見るのと同じ光景が、パリの地下鉄でも見ることが出来た。
しかし、彼らはビタ一文、笑わない。笑い声すら聞こえてこない。
オレが友と電車に乗るとき、出来る限り相手を笑わせようと頑張る。もはや、下車までに笑わせることが出来なかったら、申し訳ないなと思うオレだ。逆にゲラゲラと笑わせてくれる友だとしたら、その友に最大級の賛辞をいつも心の中で思っているオレだ。
だから、オレは思った。
地下鉄でゲラゲラと笑うことは不謹慎なことになっているのだな、と。
携帯電話を車内で使わないように、むやみに笑わないことも、マナーとして認知されているのだな、と思った。
とはいえ、彼らは、知人との車内での偶然の遭遇には、やりすぎなぐらいのオーバーな驚きリアクションと共に、抱擁とキスをねっとりとかましてくれる。
それはアリらしい。
フランス、謎。
オレに置き換えたら偶然の遭遇には、ニヤリと笑う、というリアクションが正解なのだが、まあ、よくよく考えたら、全く笑えないのだが、笑う、という行為は、相手を認識してますよ(それどころかリスペクトですよ)と同義になっているので、笑っておけば、とりあえずは、コミュニケーションは成立する。
フランスでは、笑いは抱擁という方法に変わっていた。
なるほど。
笑い。オレはそのベクトルの「形」の違いをフランスで探していたが、どうやら、「形」以前に目指している「方向」が違うようなのである。



パリの西にあるブーローニュの森には、ロンシャン競馬場がある。競馬ファンなら聞いたことがあるだろう「凱旋門賞」が行われる競馬場で、「凱旋門賞」とは世界最強馬を決定するレースである。日本で最強といわれる活躍する馬達には、かならずといっていいほど、「凱旋門賞」には行くのか行かないのか?という議題があがる。ダビスタ世代のオレとしては、自分の育てたゲーム内愛馬が凱旋門賞に出走するというのは、やっぱり興奮した。だから、オレはフランスに行ったら、この目でロンシャン競馬場を見ておきたいと思っていた。どのジャンルでも「聖地」というものがあると思うのだが、オレにとって競馬の「聖地」は浅草の場外馬券場ではなく、ロンシャン競馬場であった。
ブーローニュの森についた。とりあえず歩いてみた。期待と興奮が歩を進める度に高まっていくのがわかる。が、その大きくなった期待と興奮は、そのままの大きさで不安に変わってしまった。
オレは森を舐めていたのだ。そう、オレは道に迷った。正直、死ぬと思った。言葉もロクに通じないし、携帯電話もない異国の森で迷う状況を想像して頂きたい。周りを見渡しても、人、居ないし。
やっとの思いでみつけたフランス人のカップル。
フランス語で挨拶し、後は片言の英語で話す。
どうやら、彼らも英語がちょっと話せるらしい。
以下訳。
オレ「ボンジュール。エクスキューゼモワ。私は日本人です」
フランス人男(仏男)「オー、ニホンジン!コニチワ!」
オレ「私は日本人です。コニチワ!」
謎のコミュニケーションを交わし、彼らはそのまま去ろうとしたので、オレは必死に彼らを制した。
オレ「(地図を指差し)この道は、ここですか?」
仏男「オー、ボクモ、ココ、ハジメテ、キマシタ」
フランス人女(仏女)「ドコニ、イキタイ?」
オレ「ロンシャン競馬場に行きたいです」
仏女「ロンシャン!アルイテイクノ?」
オレ「足で行きます」
仏女「オー!ジテンシャデイカナイト、タイヘンヨ」
オレ「オー!ノー!」
呑気にオー!ノー!とか言っている場合でないのだが、とりあえずオレは、彼らと成立しているのかどうかわからない会話でテンション高めて、不安をなんとか誤魔化していた。しかし、仏男はそんなオレの誤魔化しをひっぺがすこんな発言をした。(雰囲気を出すため、日本語の口語体にしてみました)



仏男「まあ、とりあえず、オレ達はわかんねーから、次の曲がり角の道で最初に出会った奴に聞いてみなよ」



見渡しても、その曲がり角というものが見えないんですけど・・・。
そんな泣きそうな状況で、オレは想像もしてなかった出来事に遭遇したのだ。
仏男を見る。
その時、仏男はとびきりのスマイルを繰り出していたのだ!
仏女は仏男の隣でゲラゲラと笑っていたのだ!
オレもなんかもう、どうしようもなくなって、笑うしかなかった。
3人は暫く、ゲラゲラと笑った。
仏男なんか、腹を抱えて、ちょっぴり涙を浮かべていた。
そりゃあ、日本人がフランスの森で迷っていて、フランス人である自分に助けを求めたのだが、全然、自分が力になれてない、それどころか、次会った人に聞いてみろ、なんて投げやりにこたえているなんて、最高におかしい状況だ。
ブーローニュの森に、笑いの神は舞い降りたのだ。



「笑い」はコミュニケーションツールとして通用した。
異文化を理解しようとすその過程で、「笑い」が出現することを知った。



フランス人カップルは別れ際「GOOD LUCK!」と言った。
え?
置いていくの?
森から出してくれるとか、そーゆーのないの?
ロンシャン競馬場に行きたいとか、もうちょっと萎え始めているよオレは。
彼らは颯爽と去っていった。
オレは「merci!」と彼らに手を振った。
勿論、オレのその表情に笑いは無かったのだが。