顔文字のはじまり

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はい。どうもーこんばんわ。焦燥感です。まー、世間では、焦燥感といえばアレですよ。顔文字をね、使わない、みたいな、そういうストイックなスタンスで今まで来ているわけですよ。ぶっちゃけ。うん。ぶっちゃけちゃう。この焦燥感の溢れ出るフェロモンを探求すると、顔文字を使ってないどころか、画像さえ載せず、あまりに読み手の読みやすさを無視した傍若無人っぷりに行き着くのは、賢明な読者の皆さんであれば、自明の理であると察しております。どうもどうも。すみませんね。あっ、そこちょっと通して貰ってもいいですか?
ま、言うなら、
「あら、焦燥感さんったら、顔文字を使ってらっしゃらないわ。ス・テ・キ」
と貴婦人達がこぞって浮き足立ち、あわわあわわと荷物を整理して、
「私、焦燥感はんのとこへ行くわ!」
と言い出し兼ねない焦燥感の仕掛けが顔文字を使ってないことにあることにお気づきなると思うんですよね。とか言って検索してないなら、多分、なんですけど、うん、使ってないと思うわけ。もし使っているとしたら、それは顔文字を使うことに対する素敵なカウンターなわけで、まー、なんでしょう。顔文字使わんと表現出来んのなら、それはもう焦燥感は潮時なのかなぁとも思うわけですな。



そんなストイックな佇まいがどうでしょう、いざね、日々の生活に落とし込んでいくとなると、自分でもわかっているんです、こんな顔文字も画像も取り入れない阿呆は淘汰される、とわかっているんです。



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知り合った女子に初めてメールを送るとき、オレは非常に悩む。
こんな焦燥感のような、だらだらとした長文で攻めるか、もしくは、



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何故か汗をかいている彼を、文中に散りばめさせるのか?
学生時代であれば間違えなく、前者だ。鬼の様に、妄想長文メールを送りつけ、ピエロと化して、女子の、やれやれ。的なリアクションを良しとしていたと思う。
が、しかしですよ。オレももう大人になって、出会いの一つ一つを取りこぼしたくないと、切羽詰まっているわけです。出会いなんて、ほんとそうそう無い。
はみ出んばかりのサービス精神と、意味の無い妄想を書き記したい衝動と、そんな小学生な自分を客観視する大人の視線。その3者をどうか両立させたい、と願っていたときに、そんな3者を端的に表しているこの「(^_^;)」という顔文字に気付いた。

(色々と不毛な妄想や笑えないギャグを書きなぐった挙句)
というわけで、かなり前のめりですが、笑って許してください(^_^;)。

みたいなね。みたいなね。じゃない。かなり言い訳がましてくて、いけてない、と思うし、ここまで書かないとわかってもらえないのだろうか。と悲しくなったりもするが、油断してはいけない。突き放した文章を書いたがために失った、出会いからの成熟を、オレは両の指で折りきれないほど経験している。「無理しても楽しくないよ」と友人のSさんはオレに言ったが、はじめのうちは無理でもしとかないと、続きそうにありません。女子に送ったメールが返ってこないことに慣れた負け犬体質からの脱却を、オレは「(^_^;)」に託そうと目論んでいる。だから、ほんと。頼んだぜ「(^_^;)」さん。



まずはわかりやすさが大事だ。メールの本質がコミュニケーションなのは当然であるにもかかわらず、脳内妄想物語、それのみを書き記したくって仕方ないオレは、万馬券しか買わないおっさんと一緒で、冷静に考えたら、本命の馬しかありえないのに、自分勝手な一人の世界で過ごそうとしている。
相手が顔文字の安心を求めているなら、オレは平気で自分の文体を捨て、「(^_^;)」を使う。それどころか、「(^o^)~ヤッホー」とかも多分使う。こんな絵文字が存在するかどうかはさておき、ヤッホー的な状況であれば致し方ない。その時は「(^o^)~ヤッホー」を使わざるを得ないと思う。



ただ、うっかりすると

おはようございます(^_^;)

とかわけのわからないところで顔文字を使いかねないので、顔文字を使いこなせているような感じにはならないように注意したいと思う。顔文字に対しては常に初心者のスタンスでいたいと思いました(^_^;)。