お嫁さんのはじまり

今日は同期のMさんの最後の出勤日であった。
仕事の帰りが一緒になったが、でもまた会えるんじゃないかなと思えて、別にOさんの時(id:milos10:20040821)ほど悲しい気持ちにはならなかった。Oさんの頃はまだ想像力が足りなくて、会社から離れてしまったらそれでもう会えないと思っていた。でも、実際はそんなことはない。飲み会もあるし、ねぎしサミットもある。この前飲みで久しぶりにOさんに会ったが、ブランクを感じさせない、とっても楽しい時間だった。よくよく考えると、会社以外の場で話しあった方が、その人の本当の人となりが垣間見れて,、会社に居るよりも全然楽しかったりする。別にやめようがやめまいが、その人に出会えたことの、その事実の方が大事だったりする。会社は出会いの場に過ぎないのだ。
でも、今こうして書いていると、「同期」として共に過ごした戦友が居なくなってしまうのだ。といった喪失感が浮き彫りになる。ついに、オレと同じフロアに同期が居なくなってしまった。明日からMさんは居ない。
OさんもMさんも、オレにとっては生まれてはじめての「同期」で、お互い、初の社会人だったから、なんかすごい支えだったように思う。勝手にすごい親近感を覚えていた。今まで経験したことのない責任感と圧迫感。そんなストレスはやっぱり「同期」が居たから、誤魔化せてきたのだと思う。「同期」はわかってくれた。そして、助言してくれた。オレはいつも「同期」の知恵に支えられていた。



Mさんのこれからを願う。
というか、願うことしか出来ない。
退職した経験がないから、Mさんの心境がわからない。だからせめて、彼女のこれからを願わせてほしいと思う。
最近のオレは、この仕事でいいのか?とはもう迷わなくなった。今、仕事が面白い。責任感も達成感も全てが面白いと思える。オレのやれることの中で、やりたいことがやれている。そして、そんな機会に感謝している。
そう。
オレはたまたまそうなっている。やりたいことばかりが仕事じゃない。だから、そんな充実感に恵まれなくなった時、Mさんの気持ちがわかるのかもしれない。
OさんやMさんが退職したことが正解なのかどうかは、本人ですら多分死ぬまでわからない。ましてや第三者のオレに、それがわかるはずもない。ただ、彼/彼女にとって正解であるように、と願うことは出来る。
「同期」は、一生「同期」でありたいと思う。



「お嫁さんになるのが夢なの」
とMさんは2年前、そんなことを言っていた。
この退職が素敵なお嫁さんの第一歩になるといいと思う。
史上最強のお嫁さんになってください。



でも、この前のMさんの有給消化中にメールしたら、
「昼に恵比寿でまったりお茶してたのー」
とか返ってきて、それって、初々しいお嫁さん通り越して、
シロガネーゼ。とかいうものなんじゃないのかなと思った。
史上最強のシロガネーゼはいっぱい居そうだから、なんか仕事よりも困難な道なのかもしれないけど、頑張ってほしいと思った。