言葉のはじまり

今でこそ「メタブログ」とかゆって、受け皿のような言葉があるから、それに向かって、その空白を埋めるような行為が蔓延しているわけで、オレはオレで「書くという所作について書く」と、この『焦燥感』内でも展開(id:milos10:20041103)したりもしている。その時は「メタ」とか考えてもいなかったが、結果的には「メタ」の近いところに落ち着いている。
「多重構造」とか「ブログ内ブログ」とか「ブログ前ブログ」とかなんだか野暮ったい言葉でしか表現することを知らず、「メタ」のような洗練された言葉を知った今、ああ、みんなこういうことを考えて、こういう気持ちを共有したっかたのだなぁ、と新鮮な連帯感を味わっている。そもそも、オレはもともと「メタ」という行為には興味があったのだ、と思い出しました。言葉というのが需要に応じて、発生または発掘されるものだとしたら、今、正にオレはそのライブ感を体験することが出来ている。あ、今オレ、流行のその流れに乗っているんだ、という認識があり、その中で生活するということはものすごく面白い。



先端の言葉を使い始めた先駆者はすげーなと思う。
「メタ」とかはじめに言い出した人は、「はあ?」とか言われたはずだし。「メタファー?」とかっていう風な誤解なら、まだその先駆者も言った甲斐もあろうものだが、「いや、メタルじゃないし」なんて窘められたときなんかは、その先駆者はさぞかしがっかりしただろう。「君のは音楽じゃないから……」相手はちょっと気を遣いながらも、痛恨の一撃をまたも繰り出す。これはキツイ。言わなきゃ良かったよ、と思ったに違いない。オレならそう思う。ああ、誰もこんなこんがらがり過ぎて玉になってしまっているような構造の糸なんてほどきたいとも思わないよな、と思って、えへへ、と笑う。笑って誤魔化しているはずだ。しかし、そんな迫害を受けつつ、先駆者は「メタ」を使った。「メタ」の存在意義を考える「メタ」の鬼と化してしたはずだ。
もしかしたら、オレが知らないだけで「メタ」という言葉はずっと使われていたのかもしれないが、「メタ」という言葉がオレの今までのもやもやを2文字ですっきりとまとめてくれたのは、やっぱり我慢強く「メタ」を使っていた人の存在がいるわけで、オレはそんな「メタ」周辺の人々に感謝したいと思うのだ。「メタ」を届けてくれて、ありがとう、なのだ。



これが、時代に生きるということなのだろうか? と思う。自分のもやもやが見えざる第三者によって解消されるなんて、なんせ初めてだったものなので、すっきりとしない。労せず答えが聞こえてくるなんて、それでいいのだろうか? と思う。これがその時代に生きられるというメリットなのだろうか?
「ソリューション」も「イノベーション」も使っている人を見たことがないが、オレの「メタ」と同じように、この時代に感謝している人もいるかもしれない。言葉は、その言葉の意味でも語呂でもなんでもいいが、ニーズがあるから使われるわけで、「ソリューション」も霞ヶ関あたりじゃ、「昨日、ソリったよ」「先輩、やびゃーっすね」みたいなやりとりが行われているのかもしれない。そして、オレは使わないがやっぱ「ソリューション」ってはじめに言った人はすげ−と思う。だって、プロレス技みたいじゃないか。仰向けに寝ていたら「ムーンサルトソリューション」を決められそうではないか。それは、やびゃーっす。
そんな適当な理解しか出来ないのだが、それでも今日も「ソリューション」で「イノベーション」で「コラボレーション」は、どこかで、待ってました!とばかりに消費されている。



バブル。
オレはこの言葉がものすごく羨ましい。本を読んで想像してみても、やっぱりその時、バブルを「あー、バブルって来てんなー」と思ってバブルを共有していた人の経験には叶わない。
就職氷河期
オレはこの言葉の時代ににちょっと引っかかっている。「就職難だなぁ」と思って大学時代就活したのだけど、逆にこれは想像したくないし、こんなネガティブな話、共有したくもない。「圧迫面接」に何の意味があるというのか、と今でも思い出してはムカついている。



チョコをショコラと言い、サービスをおもてなしと言い、「メタ」はもうすぐみんなの共通語になりそうだ。言葉は面白い。流行語とかそんなんじゃなくて、オレの周りとか、オレの周りの周りとか、そんなところから発生する言葉に注目することで、オレはその時代に生きた人にかわからない空気をポジティブに楽しむことが出来るのかもしれない。



ジャムのことを「コンフィチュール」と言う時代。
そんなニーズがある時代にオレは生きています。