熱のはじまり

イメージというものは過去のものです。
それが未来に持続していけばいいと思う。
実際はそうじゃないから、そう思う。
『多分これから僕達は嘔吐するほど楽しいことを知ってしまってもう戻れない』(@日本橋ヨヲコ)。
オレもそうありたいと思う。
しかし、そう思った瞬間、その決意は忘れられる過去になり、いつか記憶の彼方に消化されてしまう。



楽しくない変化が待ち受けているのなら、それが成長の証だとしても、オレはいらない。
楽しめない成長なら、オレは望まない。



過去のイメージで会ったオレと君の久しぶりな時間は、
今お互いは違う世界に居ることに気付き、苦痛の色を帯び始めました。
互いに何も影響し合えない無為な時間。
乾いた言葉が飛び交う空間。
自分の芯なんて何処にも無かった。
芯と芯が結ばれているような気がしていた過去。
心の底からこいつと分かり合えている気がしていたイメージ。
新しい何かが始まる気がした出会い。



結局、オレの成長は、何処に向かっているのだろう?
融通が利かないほど、道を絞ってしまったのは確かだ。
共感すらしてもらえないのなら、信頼していた人でも置いていくことしか出来ない道程なのも、たぶん確か。
しかし、嘔吐する程の楽しい道なのだろうか?
この道を往くと決めたオレの確信が、人との離れの間で揺らぐ。
そもそも、オレの確信って何処から来ている?



何処だ?



オレはなんて忘れやすい生き物なんだろう。



語る言葉は覚えている。
しかし、それは、表層の音で、熱を帯びない。
熱を忘れてしまうがオレの態度が、大事な人との距離の離れを気付かせるきっかけなら、本当にかなしい。



そんなオレの現状はとてもかなしくて下らない冷めた熱だ。
全くもってムカツク熱量なのです。



我が道を我が熱で照らす。
これだけは、知ったふりとかして、忘れてはいけない。