悪い冗談のはじまり

面白くないことをしてしまうのは、仕方の無いことだと思う。世の中はそんなに面白いことであふれちゃいない。それは知っている。
しかし、面白い場をぶち壊しにしてしまうことは、仕方無くない。絶対に仕方無くない。楽しみをぶち壊しにしてしまう感性をオレは「仕方無い」で済ませたくない。
たとえば飲み会で、小一時間絡んでくるヤツ。うん。帰っていいよ。そして、それに対して、普通にキレて、場を盛り下げてしまうヤツ。君も帰りなさい。
そして、オレは帰ってきました。
ごめんなさいね。
オレは、オレの楽しみを邪魔するヤツに我慢がならないのだよ。
そして同時に、他の人の楽しい時間を邪魔する自分にも我慢がならないので、帰りました。



久しぶりに塞ぎ込んだと思う。
オレはキレると、うちにこもる。
撒き散らして、いいことないし。撒き散らすよりも、盛り下がりの被害、最小限。



しかし、こんな状態でも、サンキューの気持ちもあるのだ。その人にサンキューなのです。
飲み会の途中で帰ってしまうオレにはまだ反省の余地があるのだろう。次は笑ってやり過ごせるのかもしれない。その余地に気付かせてくれて、サンキューなのだ。
ありがとう。
ごめんなさい。
そして、
ブッコロスケ。
こんな自分の混沌の中、オレはその反省の余地が一体なんなのか、わからない。
わかったのは、世の中の半分は冗談で、その冗談は悪い冗談だということ。