美学のはじまり

普段、オレがよく使うお弁当屋は職場から歩いて3分程で、種類が多く、今時300円以下で「御飯+おかず」のちゃんとしたお弁当が買えたりするので、重宝してます。
どうしようかなぁ、とその日も幸せな選択を強いられておりました。肉野菜弁当やノリ弁などの低価格路線弁当にしようか、それとも、特製弁当のお得な豪華版にしようか、それとも……。



ん?
んん??
不意打ちだった。あまりにも普通にその弁当は並んでいて、気がつかなかった。弁当のおかずとして、今まで考えたことがなかった。あるべき場所にないそのお弁当に、その状況に、その世界に、オレは見とれてしまったのだ。そして、その弁当を手に取ったオレは、このお弁当屋の飽くなき向上心に、打ち震えていたのでした。



その弁当。
おでん弁当。462円(税込み)。
はんぺんとちくわと揚げ出しとこんにゃくと大根と御飯。
正統派のおでん弁当。漬物とかに寄り道してない全く持って男前な弁当であった。たしかにリーマンはおでんが好きです。御飯とおでんでイケルくちです。玉子が無いのが気になりますが、まあ、弁当だしな、玉子はなんとなく弁当としてはまずいのではと業界への配慮をしたりもします。汁っけが多めなのも、ニーズに応えている感じで好感が持てます。
しかし、今は昼だ。昼なのだよ、お弁当屋さんよ。何に疲れて、お弁当におでんを求めなければならないのだ。何故に、お弁当が傾いて汁が混ざりこんだ御飯を食べなければならないのだ。



やはり、お弁当屋はお弁当屋
悲しいことだが、いくら気の利いたものであっても、度が過ぎると、違和感という言葉で一掃されてしまうのだ。お弁当屋に奥深いギャグは求めてない。確かに日常の彼方へ吹っ飛ばしてくれるベクトルの太さはあるのだが、それ以前に、オレは普通におなかが空いて、普通に御飯が食べたくて、普通にお弁当を買いに来る、普通のリーマンです。ツッコミよりも呆然。呆然して放置。ほっといて欲しい。
線引きが難しい。
ここまでは笑える。ここまではOK。これには閉口。これはありだけど、ここでダメ。
アリナシのラインというのは、サービス業経営において非常に重要な要素なのだ、とその時思った。
あの話も手伝って。



オレの親は昔、喫茶店をやっていました。
今巷に溢れているようなオサレカフェではなく、地元に根ざした喫茶店で、雑誌とかもいっぱい置いていて、客からみたら、コーヒー1杯で2時間は余裕で粘れるというか、全然、回転率とかを考えてないお店で、そんな全然儲かってないお店を親はやっていました。
今、オレは、親父とたまに酒を飲むのですが、最近、その時の話をよくします。そこで出た話題が、
『親父が考える、喫茶店としてここまで許せるメニュー』
で、うちの喫茶店は地元に根ざしていただけあって、結構幅広いランチタイムのメニューをほこっていまして、幕の内弁当、というかなり喫茶店としてナシの部類に入るものもあったりと、幼心に、親はどういう気持ちでこのメニューでいるのだろうか? と思っていたりして、かなり聞きたい部類の話でした。
聞くと親父も色々と譲っていたようです。お客様第一主義、というと気張っている感じですけど、親父なりに色々と考えていたようです。そして、『喫茶店としてここまで許せるメニュー』ですが、やはり地元に根ざしていただけあって、色々と付き合いからの営業があったらしいのです。うちの肉、使ってよー。とか、そういうの。しかし、親父は、これだけは譲れなかったらしいです。



『ねえねえ、うちのマグロ安くしとくから、今度、ランチにいれてよー』



鉄火丼
鉄火丼のコーヒーは食前ですか?食後ですか?だ。
これだけは譲れなかった!と親父は力強く息子(オレ)に言った。
鉄火丼はオレがマスターでも入れない。だって、喫茶店だから。ちんけなプライドでもなんでもなく、鉄火丼は喫茶店には居場所がない。あるべき場所にあることが美しい。コーヒーは喫茶店鉄火丼は寿司屋。たこわさびは居酒屋。いくら求められていても、譲らないポリシーこそが、美しい。
鉄火丼を導入しなかったうちの喫茶店。時間は緩やかに流れ、そして、緩やかに終焉を迎えた。終わりはあっけなかった。しかし、理想と現実のせめぎ合いにもう揉まれなくていい、という安堵の表情が、写真の中、最後の日の親父にはあった。
儲からない。
茶店の最終形態は結局そこだ。カフェならいざしらず。時に、生きていくために、鉄火丼を導入すべきだったのだろうか?と思う時がある。しかし、そうは思わない。という答えにすぐに立ち戻る。生き方として、在り方として、親の喫茶店は『幕の内弁当』というせめぎ合いを経ながらも、結局は美しかったと思う。潰れたけど。
痛みを覚えながらも、譲れない美学。それが大人の生き様だと思った。そして、オレは貴方の息子だということを誇ります。
オレは親父の息子です。



Plan-7「男前には、譲れないこともある」



オレは、おでん弁当を元に戻し、鮭弁当を手にとる。
そんな小さなこだわりだけど、
オレはそれを美学と呼びたい。