『好き好き大好き超愛してる』のはじまり

好き好き大好きとか書いてあると、R.D.Laingの『Do you love me?』を思ったりする。考えは横道に逸れて、岡崎京子とかを読み返したり、そして何故か吉野朔美の『少年は荒野をめざす』とか読んだりして、舞城さんのはこのところテーブルの上におきっぱであったのだが、ピンクのカバーが目に痛く、気になるので、オレは丁寧にカバーを外し、また2,3日寝かしたりしていた。
好き好き大好きなこと考えると、オレは唐揚げを思ったりする。唐揚げは好き好き大好きです。唐揚げは不変だ。いつだってオレの唐揚げは、衣がサクサクしている。そして、オレはオリジン弁当に向かう。『好き好き大好き超愛してる』をテーブルに置いて。
好き好き大好きとか口ずさむと、オレは謝りたくなる。ごめん。こんなに真っ直ぐな気持ちを持てない。いつだってその裏に潜む落とし穴に怯えて、全力で走れない。期待することが怖い。他人には期待しない。自分しか信じない。
想像していた不都合はオレ一人の妄想努力で解決出来たりするのだけど、現実の不都合は、オレ一人の問題じゃなくて、どうにもならない、という結論があっさりと待っていたりする。
それでも好きなら、たぶん好きなのだ。
好きという気持ちを持っていたいから我慢するのか。好きだから我慢出来るのかわからないところではあるが。
『彼氏彼女』なんて言葉があるから、歪な契約が出来る。こうしなきゃいけない。ああしなきゃいけない。そんなのイメージだけだ。きまりなんてない。
好きだから一緒に居るのだ。一緒に居たいから優しくなれるのだ。そして、一緒に居た過去は『彼氏彼女』と呼ばれるものになると思う。
『好き好き大好き超愛している』とか言われると、それが未来への誓いみたいで、オレには出来ないことだと思う。オレと君と世界は、不変ではない、絶対に。




とか、なんとか考えてて、やっと気力が充実し、『好き好き大好き超愛してる』を読んでみました。
恋愛モノとかあんまり読んだことないので、アレなんですが、恋愛モノがこんなに深く内向的に進んでいくのなら、もっともっと色々と読んでみたいと思いました。ストーリーにはあんまり関係ないですが、『友達のメタ化』という表現にはすごく共感するものがありました。そして、うっかり共感してしまうオレは友達が少ないです。あ、別にそれだけが理由ではないか。まいいや、唐揚げがあるし。
そう、貴方には『好き好き大好き超愛してる』とか言える。