溝のはじまり

あぐねている。
ここ2日、あぐねている。
更新が滞ったのもこれが理由。
新宿から京王線に乗り換えることのメンドくささについて、考えあぐねている。
自分の駅から目的地まで、乗り換えが2回もある。
しかも、広大な新宿駅で乗り換える。
これは、あぐねずにはいられない。
ここで、あぐねなければ、いつあぐねるというのだろうか?



『リアクティヴィティ―反応=再生する可能性』
http://www.ntticc.or.jp/Schedule/2004/reactivity/index_j.html



行きたいです。
行けないです。
だって、東京には東西を分裂する深い溝があるから。
オレが、京王初台に行けないのもきっとその深い溝のせいなのです。



西東京が、渋谷、新宿、原宿、青山などなど、ハイカルチャーを擁しているのに対し。
東東京代表。



上野。
もしくは



秋葉原



お茶の水、神保町は中立。
浅草は聖域。



オレは東東京で暮らしています。
映画館は少ないです。
本屋の規模は小さめです。
行きたいところは、いつだってあの溝を越えたところにあります。



だから、疲れる。だから、オレは家で『トイ・ストーリー』を見て、濁す。漫画喫茶で『北斗の拳』を読破しようとする。バズライトイヤーなら越えられるかも。ケンシロウなら越えられるかも。溝を越えるに理由が足りない。オレはスペースレンジャーではないし、北斗神拳の使い手でもない。
誰かの為に、溝はあり、そして、乗り越える為に、溝はある。
世界はうまく出来ている。



あぐねた末の結論。
だから、オレがダメなわけではない。
ダメなひとでは決して無い。



今から、綾瀬に行ってきます。
綾瀬川ならすぐに越えられます。