タクシーのはじまり

仕事柄、よくタクシーを使う。

色んな人からよく聞くタクシーのイメージとは
「態度がでかい」「話がうざい」「料金が高い」
と、目指すべきサービスの対極の3拍子が揃っており、サービスサービスと声高に叫ばれている今、それはそれで、存在価値があるのだろうと思っていた。

参りました。
全然、違う。
プロですよ、プロ。
エンターテイメントのプロ。

初対面のオレに対し、乗車10秒で下ネタ。そして畳み掛けるように、カミサンの愚痴。しまいには、恋愛の真理なんかもさりげなく語っちゃったりして、目的地到着。話の配分に寸分のくるいなし。話のキレに一点の悔いなし。
『競馬→あるべき経済論』
『東京→サービスについて』
などといった流れの猛者も居た。どの猛者も計ったかのように、オチのところで目的地に届けてくれる。そして、目的地手前で料金は上がる。

オレは積極的にタクシーに乗ったら話し掛けるようにしている。そして、オレはただひたすらに彼らの詩に相槌を打つ。今日は新潟のタクシーに乗った。今日もオレはセッションを企てる。
『新潟って日本地図でいうところの出っ張ってるとこ(石川県)だと、ずっと思ってましたよー。あはは』
……シカト。
フリがよくなかったのだろうか? ベタなフリには乗りたくないということなのだろうか? プロ意識だとでも言いたいのだろうか?

タクシーの料金は高い。それは認める。でも、その料金は何に掛かっているかを知るべきだ。運送料金だけではない、ということは、バックミラーでこちらをチラチラ見る彼らの目を見ればわかるはずだ。そしたらもう、タバコなんか吸っていられない。親父の小言は最早、タクシーの特権。流暢な言葉が紡ぎ出すメロディー、呼吸、そして、真理。金を払っても聞きたいものだ。
『TDL→エロと死』という話を舞浜〜銀座で話せるような、そんな親父にオレはなりたい。