そうめんのはじまり

今朝というか、正確にいうともうそれは昼だったのだが、
3回目のうたた寝に体が飽き飽きしていて、
私は布団から這い出した。


ほんとうはもう少し横になっていたかった心持ちではあったのだが、
体の至るところが熱をもっていて、
寝ていると不快な気持ちになる。


「寝るのが疲れる」
上司の言葉を思い出す。
私にはまだ別世界の話のように感じて、笑っていたのだが、
どうやら、私のつま先はすでにその世界をとらえているようだ。


私はなまった体をほぐす。
体をひねると関節が鳴る。
切実な音。


あまりにも音が鳴るので、体中の部位という部位を鳴らしてみる。
気がすんだところで、パソコンを立ち上げる。
椅子に腰掛ける。
タバコを吸う。
残り2本。
このままじゃもたないな。


カーテンの隙間から光が差し込む。
ガラスの向こう側から熱を訴える、そんな眩しさ。
出来る限りタバコを吸わない術を考える。
考え事をしているとまたタバコが吸いたくなる。
残り1本。
さて、どうしたものか。


不意に腹が減る。
そういえば12時間以上、何も口にしていない。
さて。


今年はそうめんをよく食べている。
その回数はこの夏で、20回は軽くこえているのではないだろうか。
夏はやっぱりそうめんだ。
手軽なのがいい。
字面もいい。
そうめん。
漢字で書くと素麺だが、
爽麺。
さわやかめん。


かわいた風がふく。
ふうりんがなる。
浴衣縁台団扇ビール。


頭の中にさわやかが広がる。


そうこうしているうちに、火にかけていた水が沸騰。
沸き立つそこに、そうめんの束を放つ。


私はたぶんそうめんにうるさい。
私が好きなそうめんの食べ方は、
めんつゆとともに食べる、いたってシンプルなもの。


ただ、その食べ方を続けていると、
このそうめんというものは実に奥の深い食べ物だと、
思い知らされる。
そうめんというものは、手軽であるがゆえに、茹でることさえ出来てしまえばとりあえずOKな、料理初心者には絶好の食材なのだということを知る。
誰にでもヒットが打てる食材なのがそうめんなのである。
しかし、おいしいご飯がそれだけで食事になるように、そうめんの道にも、極めた先に突き抜ける瞬間がある。
ほんとうにおいしいそうめんというのは、わずかに芯の残った、パスタでいうところのアルデンテのような、そんな食べ応えがあるのだ。


幸運にも、『クラウンそうめん』をはじめとする高い評価を得ているそうめんをいただく機会が多かったこの夏であるが、私は未だ、私の手でそんな僥倖を創り出すにいたっていない。


さえ箸で湯に放たれたそうめんをほぐす。
煮え立つ泡に巻き込まれるように、鍋の中で、白が渦をつくる。
もう9月。
昼間にそうめんを茹でるのは、今年、たぶん今日で最後になるのだろう。
そんな感傷に浸る暇など、そうめんは与えくれない。
私はねぎを刻み、タイマーは1分たったことをつげる。
このせわしなさもそうめんの好きなところである。
そうめんを茹でる時間とその行為が過不足なく、ぴったりと寄り添う。


1分15秒。


先日の1分では硬さが口に残ったし、1分半ではゆるすぎた。
この1分15秒が、あのか細いそうめんをアルデンテにするのではないか。
そう思って今日は茹で時間を1分15秒にしてみた。


鍋からざるへ、すばやくそうめんを移す。
冷水に30秒つけるのが、世間ではよしとされているようだが、
私はすぐさま、さえ箸で流水にさらす。
これも私のそうめん道。


めんつゆと水は6:4。
濃すぎてもいけない薄すぎてもいけない。
量が多くてはめんがひたひたになるし少なくては味が染み渡らない。
茹でるときと同じぐらいの気遣いで、私はめんつゆをつくる。


今年最後だと思うと、どうにかして最高のシチュエーションでそうめんを食べたい。
9月らしからぬ外の眩しさも、きっと忘れてしまう。
もうすぐ私は、肌寒さを覚えるのだろう。


食べごたえ、めんつゆのほどよい味、9月の眩しさ。
点が線になる。
今日のそうめんはまさしく僥倖であった。


つるつると箸が進む。
あっという間に僥倖は過ぎ去っていった。


こうなると非常に虚しいもので、
私はしばしインターネットをしていたのですが、
気がつくと、再び鍋に水を張り、火をかけていた。


先ほどを全く同じ行程で、そうめんをつくる。
出来上がったそうめん。
最初の一口。
うむ。まさしく僥倖である。
しかし、次が進まない。


当たり前である。
私はお腹がいっぱいであった。


僥倖。
それを創造する歯車たち。
私もその一部であった。


そうめんの白い糸は私を真理に導く。
そんな物思い耽る秋。
妄想の秋。


最後のタバコに手を伸ばす。
ベランダに出てみると、見える光の眩しさほど鬱陶しさを感じない。
季節の移ろいは、こうして不意に訪れる。
久しぶりに、薄手ではあるが、長袖を羽織ってみた。
そして私は、タバコを買いに出かけた。