追憶のはじまり

もう5年以上前のことになるのですが、私は当時付き合っていた女の子と、たしか2泊3日だったと思うのですが、鎌倉やら湘南やらに小旅行に出かけました。


その旅行は、泊まるところも決めてなければ、行くところも特に決めてない、よく言えばダイナミックな旅行。今考えると、なぜそんな無謀な旅行に彼女がついてきてくれたのか謎なのですが、なんというか、私はそういう無謀さに多分に憧れていて、
若さ。
若いのだもの。
なんとかなるさ。
と、
若さの勢いを過信し、自信満々で彼女をエスコートする、今考えるとそれはそれは無謀な旅行なのでした。
今なら絶対行かないね。そんなの。
というわけで、
あの旅行を思い出すたびに、私は、あのころの私の阿呆さに甘酸っぱくなり、あのころの私の根拠無き自信に恐れおののき、そして、彼女に感謝するのでした。
ありがとう。


今日、出張で藤沢に行って来ました。


あの日私たちは、江ノ電江ノ島から藤沢に戻ってきて、よし。今日は藤沢で泊まろう。と決めたのでした。


その旅行を思い出すたびに、必ず出てくるのが、藤沢。
というか、
鎌倉のこととか、湘南のこととか、よく覚えていないんです。
ガラス工芸とか、スマートボールとか、やったようなやっていないような。
唯一、その思い出に血が通っているのが、あの日の藤沢なのです。


宿は意外とすぐに見つかりました。
駅前のホテル。
いわゆる、ラブホテル。


私は思いました。
違うんじゃないか。
こんなに簡単に見つかったりしないのではないか。
もっと苦難を乗り越えて、ほうほうの体でたどり着く宿が、
旅にいっそうのコクを与えるのではないだろうか。


私はそのホテルを見なかったことにしました。
私たちは歩き出しました。
歩いて歩いて歩きました。
歩いて戻ってまた歩きました。


4時間。


4時間歩きました。
あきらめないことが正しいわけじゃない。
ってことがわかったのは、たぶんこのとき。
結局、私たちが泊まったのは最初のホテル。
次の日、私は疲れからか風邪をこじらせ、旅はお開きとなりました。


まったくひどい話です。
私はあのころ、とっびきりの阿呆で自分勝手で、無謀でした。
そして、彼女はとても出来た人でした。


藤沢に向かう車内で私は、
そんな過去の自分にこそばゆくなっていました。
電車は藤沢に着きました。
5年ぶりにきた思い出の地。
あのホテルはまだあるだろうか。
今の私なら、どうしただろうか。


ん?
あれ?
藤沢ってこんなに栄えていたっけ?


眼前に広がるは、私の記憶にはいっさい存在しない、
それはそれは見事なペディストリアンデッキ。
ああ、
駅の反対側か。
私は歩を早めました。
え。
駅の反対側もそれはそれで、
見事なペディストリアンデッキが
はばを利かせていたのでした。
ベンチ付きの見事なペディストリアンデッキ。


私はベンチに腰を下ろし、タバコに火をつけました。
あのホテルは開発により、どこかにいってしまったようです。
これでよかったのかもしれない。
あの旅行のもどかしさはもどかしさで私の経験であって、
今の私がそれを目の前にして、どうのこうの考えてみたところで、
あの旅行がよくなるわけでないし、
彼女に甘えた私の無謀さがどうにかなるわけではない。
うん。
きっとこれでよかった。
追憶するたびに、こそばゆくて、じりじりして、いたたまれなくなったほうが、
私にはちょうどいい。


タクシーの運転手さんに聞いてみる。
藤沢駅、ずいぶんかわりましたよねぇ」
「ん? 変わってないよ?」


なんですと!!
変わってない?
あの見事なペディストリアンデッキも昔からあったと? そう申すのですと?
 

「うーん。たぶん、昔からあったと思うよ」


5年前、私はいったいどこにいっていたのでしょうか。
5年間、私は何にこそばゆくなっていたのでしょうか。


どうやら私は過去の私を懐かしむ、
その土台にすら立てていませんでした。
追憶以前の問題。
今こうして書いていても、やっぱり泊まったのは藤沢だったと思うのですが、
でも、実際に降り立った藤沢の駅前に、ラブホテルなんてありませんでした。


なんだこのファンタジー
というか、もはやホラーですよこれは。
追憶以前の問題。


そんな、追憶がはじめられない、
私ではありますが、大丈夫。
あの旅行は妄想かもしれない。
ああ、そうかそうか。
妄想か。
うん。
きっと。
妄想。
そう思うことにしましたので大丈夫。
大丈夫だよ私。