カバンのはじまり

通勤で使うカバンが異常に重い。オレは確信している。このカバンが肩こりの原因なのであると。んで、このカバンを思い向くまますくい投げで線路にぶん投げてやったら、オレの肩こりも緩和されるのであろうにと思うのだけど、それじゃ電車が止まって周りの人に迷惑が掛かってしまうので、オレはカバンを投げ捨てる場所を探しに彷徨い続けていたら、会社に着いてしまったので、カバンを傍らに置きながらその日一日業務をこなし、捨てる場所も無いので仕方なく家に持って帰る毎日なのである。

余計なものが入っているのではないか?
そう思ってオレ、カバンの中を改めて整理してみるが、必要最小限にまとめられた持ち物のそのバランスに「黄金率」という言葉をオレはついつい見出してしまうのだが、んじゃあと、再度その持ち物をカバンに入れて持ち上げてみると、うん、地獄ですね。んで、カバンが地獄的重さなのであるので、改めて、社会人の諸先輩方は偉いなあと思ったわけである。みなさん、戒めを背負って生きていらっしゃるのだな。とそう、オレ、思ったわけである。カバンの重さは、物理とかそういうものを越えた何かで計られている。とまあ、そんぐらい言わせてくださいよ。

大人は背負うものが増えてくる。
カバンはそんなありふれた言葉を、先立って具現化する。
月曜のカバンには、日曜サービスしてくれなかった家族の恨みつらみが。
火曜のカバンには、不倫相手の「いつ奥さんと別れてくれるの?」が。
水曜のカバンには、取引先から浴びせられる人権無視の暴言が。
木曜のカバンには、週刊新潮が。
金曜のカバンには、読み残した週刊新潮が。
だから重くなる。別にカバン自体が重いわけではないのだ。カバンに詰め込んだ物語が重いのだ。って、そう思わないとオレ、新しいカバンを衝動買いしそうで恐い。その位不条理に重いので、その位のアナザーストーリーを乗っけたくなる。

でもよくよく考えたら、オレは背負うものもないし、アナザーストーリーもないし、週刊新潮も読まないので、いい加減カバン、軽くして頂きたいと思うのですよ。うんざりと重い。これ、結構生き地獄ですよ、正直。