休日のはじまり

休日。つまり、休む日である。いうならば、休むべき日である。とことん休んではじめて人類は、休日を満喫した、と、そう宣言できるのでなかろうか。
目覚まし時計を気にせず、二度寝に突入する時にとろーっと零れ落ちるあの甘美さで、休日ははじまる。「笑っていいとも」を流しながらカーテンを開けると、窓の外の景色はすでに光に溢れていて。のそのそと起き出してシャワーを浴び、だらだらとスパゲッティーなどをつくっては、テレビ東京では、毒にも薬にもならないB級映画を流しているので、しばし鑑賞していると、金髪女スパイの服が無駄にはだけたりするので、油断ならない。いかんいかん。たらこスパゲッティーをこぼしてしまったよ。あははは。腹もくちたところで、パソコンの電源をつけ、今日はどこに行こうかしらん、などとネットサーフィンしていると、いつの間にか窓の外は西日の風景にすりかわっており、黄昏。今日チェックしたエリアは明日行こうと固く決心し、ウィニングイレブンといいちこの一升瓶で、妄想の翼は国立競技場へ羽ばたき、誰からもメールも電話も来ることなく、オレの素晴らしい休日は、以上を延々とループしていたので、自信を持ってオレは言うことが出来る。

体、思いっきり休めました。

と。
そういえば、肩こりもだいぶ調子よいし、まあ、髭は伸びる一方だが、それだって、チャールズ・ブロンソンを師と仰ぐオレからすれば、むしろよしと言っていいだろう。

そうして、休日を満喫したオレは9月を迎え、仕事がはじまり、今こうして、ブログを更新するにあたって、8月の半分以上を休みにしたのに、今ここにいるオレはその休みから得た経験も発見もないのは、いったいどうしたものであろうか、などということをつらつらと考えるに、オレは多分、休日というものを間違って認識していたということに気がつく。つまり、「休日」と「体、休める」は同義。といった認識でもって、8月の大半を部屋の中、うだうだとウィニングイレブンなどを興じつつ、傍らにいいちこの一升瓶を抱えつつ、あくびをこらえられなくなったら不貞寝するといった具合で、思いっきり体を休めていた。そして、ああ、これが今、オレが嘆いているみたされなさの要因であるのだと。オレの肩こりはどんだけ休みを要するのだと。オレはチャールズ・ブロンソンをなぜに師と仰いでいるのだと。そう思っているのです。

休日。
多分それは、仕事や学校などの普段やっていることが休みになる日。という意味。
つまり、普段出来ないことをやる日。
それが休日なのだな。
とオレ、夏休みをまるまる無駄にして、この休日の定義を強く確信するに至ったわけですが、よくよく考えてみると、オレの周りの人はもともと、休日になると色んなとこに精力的に出かけていったり、趣味に没頭してたりしていて、ご苦労なこった、などと今までのオレは、ベットの上で横になりながら、首筋とかポリポリ掻きながら思っていたわけで、さっきいった理由からくる行動なら、なんだよー。もっとはやくにおしえてよー。抜け駆けじゃーん。と今更思った。

今日は休日だった。
やりたいことをメモっておこうと、まあ、休日初心者のオレなので、心機一転、そのぐらいの慎重さと気合でもってやっていきたいと、ところで、書き出してみると意外に普段やりたいけどやれないこと、って結構あるんだなとオレ、意外な角度からの発見に驚き、なんだかそれだけで新たな休日のポテンシャルの片鱗が垣間見れたような気がして、オレは新しい休日のはじまりに大いに心弾み、期待したわけですが、昨日の夜、渋谷で遊んでいたら、そのままついつい朝まで遊んでしまい、朝6時ぐらいに家について寝て起きたら、頭痛くて、体だるくて、なんだかもう「やりたいこと」とかって前向きテンションとか無理とかで、まあ、そこからはなんだか8月にみたことがある風景が繰り広げられていきました。

休日のはじまり。
どうやら、そのはじまりにあたっては、体を休めておく必要があるようだ。とまたひとつ賢くなったオレ、この発見をみなさんと分かち合って、まだ見ぬ新たな休日を心待ちに、今宵はこのへんで、体を休めておこうと思う。オヤスミナサイ。