メガネのはじまり/end of the world

ある日突然、視力を失ったら。
ちょっと想像して欲しい。
それはかなり恐ろしい状況なのではないだろうか。
今まで明確に認識していた物体が、いきなり、おぼろげな感覚でなんとなく認識しなくてはならなくなり、そしてその頼りない認識でもって、行動を起こさなくてはならないのだ。おお、なんと恐ろしい事態なのだろうか。


例えば、映画を観に行って、本編がはじまる前に視力を失う。多分それは、ちょうどスイートテンダイヤモンドの広告の時だ。あのダイヤのまばゆいばかりのきらめきに目を伏せたその時に、視力を失うのだ。


「映画代、損したー」


などと、そんな時、人ってものは結構冷静に損得勘定をしてしまうのですが、よくよく考えてみると、目が見えないので、後々のことまで考えて困りはててしまうのである。ま、そんな困惑状況でもスクリーンでは、UFOらしきものから繰り出されるビームらしきものが、人らしきものを蹴散らしているらしきシーンが展開されているらしきであって、ちょっと静かにしてはいただけないだろうか、オレは視力がめっきり落ち込んでしまったので、これからのことをじっくり考えていたいのだよ、と席を立とうにも、床の感覚がつかめないので、危なくてしょうがない。映画館を出ようにも出られない、そんな軟禁状態の2時間が待っているのだ。ああ、危ないのか。じゃあ、仕方ないな、と、しかたなく、周りのテンションの浮き沈みを察知し、その波に同化することで、映画代の元を取ろうとするのだが、意外とこの作業がエネルギーを使うことに5分位で察知した後は、ひたすら、家までの帰り方をイメトレするそんな映画館を堪能する羽目に陥る。


世に生きるメガネ達は、こんな死線を日々乗り越えているのである。メガネをかけていると気がつかないが、世界の終わり、ってやつはメガネを外したその瞬間から、待ち受けているのである。結構近いところで、待ち受けているのである。オレの視力は0.01以下(検視表の一番上が裸眼で確認できないレベル)だから、メガネを失ったその瞬間から、世界は変わる。


今年の夏休み、海に行った。
オレはメガネをかけていた。かけてないと海も砂も石もわかったもんじゃないから。
でも、オレも分別のある大人だ。
なるべく水につからないような遊び方で、メガネとの同化を約束した。
でも、
楽しかったんだ。
浮き輪でプカプカしてて、羨ましかったんだ。
オレは砂浜から駆け出した。
浮き輪を奪い、あろうことに、ケツから浮き輪に嵌るといった高等テクニックを披露していたんだ。
楽しかったんだ。


高い波が来た。
浮き輪もろともオレはその波に巻き込まれ、一回転した。
水面から顔をあげるオレ。



「何か変だ」



浜辺がやたら黄色く見える。
水面がキラキラと眩しく感じる。
顔を拭った時、気がついた。



「あ、メガネがない」



在るべき場所にメガネが無いのだ。
どうやら。
メガネが波にさらわれてしまったようだ。
マジで?
マジで。



オレは足元を必死に探る。
しかし、当たるのは空き缶ばかり。
潜ろうにも、そもそも視力が無い。
万事休すだった。
世界の終わりだった。
メガネはオレの元を去っていった。
オレは海にプカプカと浮かびながら、まずは安全な帰路のシミュレーションをしていた。身体能力の無力さを嘆いていた。晒された肩がじりじり日光に蝕まれていった。オレにはそれすらも身を委ねることしか出来なかった。


こんなにも、メガネが生活の根幹を握っているのだ、と思った日は無いし、よくよく考えてみると、流されたメガネは結構なお気に入りで、数え切れない程の過去の思い出は彼と共にあったのだということに気がついた。グリグリの黒のセルフレームのポップでインテリなメガネだった。


そんなメガネが海の向こうに消えていった。


オレは、君が居ないとダメなんだ。ホントにダメなんだよ。



世界の終わりを知ったオレは、代官山で新しいメガネを買った。
薄くゼブラ模様の入ったいい感じのフレーム。
今は、以前と変わらない生活のほとんどをメガネと共に過ごす日々。
メガネのおかげでちゃんと生活しています。
ちゃんと仕事しています。



メガネは恋に似ている。
今度はうまくやっていきたいと切に願う。