優先順位のはじまり

「優先順位」などといった、なんとも的を得たような言葉があるから、オレは仕事を「緊急か否か」の縦軸と、「重要か否か」の横軸でもって振り分け、一日の業務をこなす。今年の4月位からシステム手帳なるものを手元におくようになってからは、一層「優先順位」の振り分けに気を使うようになった。
例えば今日、手帳のタスクの欄にこう記入した。
「原稿(〜7/25)」
締め切りまではまだ4日ある。緊急ではない。でも、落とすわけにはいかないし、下準備とかも必要になったりするので、他の業務に比べると相対的に重要な位置にあるのかもしれない。そんなこんなで、優先順位としては「5番手以下」と位置付け、午前中は他の業務にあたった。
そして、22時。まだ期限まで4日もある原稿もうまい具合に切り上げ、帰路についた。



文章にしてみると、改めて思う。
なんてビジネスライクなんだろうか、オレは。
なんだなんだ。このソツの無さは。収まりのよい達成感は。



社会人なりたて1年目のオレは、そりゃあ、もうアレですよ。
手帳なんてペラペラのアレですよ。
1ガロンが何リットルだ。とか余計な知識だけが充実している方のアレですよ。
当然、情報を整理するような気のきいたページ構成になんかなっていないから、「優先順位」なんてもんは、仕事が来た順なわけですよ。新人なんて、仕事が無くって暇すぎるので、一つの仕事に対して、全身全霊で臨んでいたわけです。意味無く、ワードに打ち込んでみたり、エクセルで表を作って見たり。予想しうる様々な結果を想像し、対したリスクも無いのにリスクマネジメント
ぶってみたりした。余りうるエネルギーは、紙の無駄としか思えない企画書の厚みが表していた。
オレは時間を掛けて、ちゃんと過程を考えていた。
ある程度の経験を積んだ今は、惰性で結果を出せてしまう。



「優先順位」が結果を出す量に対してのものになっている。
本当は、結果の質を高めるための方向に対して「優先順位」を計るべきなのだ。



仕事をソツなくこなすが故に出来るリズムが、急に舞い込んだ変更に対して「めんどくさい」を発動する。後回しにされる仕事の効果が、発動された「めんどくさい」のおかげで見えなくなってしまっている。新人のオレだったら、そりゃあ、仕事が無いものだったから、喜んでやり直したろう。やり直すことによって、期待できる効果もちゃんと見えたから、素直に楽しかったのだ。
人間関係。仕事後の約束。趣味。
それらがうまく噛み合い出すと、何のためにやっているのか、といった本質を見失う。



「優先順位」は本質からぶれないためのもので、スムーズに一日を過ごすためのものじゃないと思った午前1時。会社に15時間位拘束されて今、仕事汁がいっぱい放出しているその勢いで、言うならばネクタイ姿でビシッと更新しているので、
これからぐっすり寝て、後日この文章を読み返したら、
「誰だ、日記を勝手に、プレゼンの場に仕立てあげたのは」
と思うことは確実ですが、折角更新したので、そのままUP。
更新すること。
それがオレの優先順位。