Sのはじまり

Sandwich

パゲットにハムやチーズを挟んだもの。チーズ(フロマージュ fromage)、ハム(ジャンボン jambon)などが挟まれる。

朝。ホテルにて、ジャムと、フランスパン。
昼。カフェにて、コーヒーと、フランスパン。
夜。レストランで、ステーキと、フランスパン食べ放題。



日々、フランスパン3連コンボ。
食文化の違いってのは、日本ですら各家庭ごとに、例えば、目玉焼きにソースか醤油か塩をかけるか、でわかれるぐらい繊細なものだからある程度の覚悟はしていたけど、うーん、予想以上に辛かった。
辛すぎて、後半なんかは、「ペリエ(炭酸水)を飲む」という、苦行のベクトルをプラスして、ひたすら、食文化の辛さをペリエのせいにしていた。「炭酸水はすぐ腹にたまるからなぁー、おい」とオレ、サントシャペル教会近くのカフェで一人、日本語で言い訳をこぼしたりしていた。日本人としてせめてこのぐらい愚痴は日本語でかましておかねばならないと思ったからだ。
が、終いには、それすらめんどくさくなってしまって昼間からビールを飲んでいた。そんなどうしようもない諦めというか、堕落で、オレは日本に居るときとなんら変わらない休日をパリで手に入れることが出来た。
パリの気候は日本よりカラッとしていて、日差しが素直に気持ちいい。日本よりビール日和の日々が、パリには多分にある。ただ、ちょっと違うのは、そこには柿ピーとか気の利いたつまみなんかは無く、ただただ当然のようにフランスパンがずどんとテーブルに鎮座しているわけで、合わせて7ユーロの、反抗なんだか迎合なんだか、心のバランスを取っていたのかいないのか。まあ、ここは引き分けでってことで。などと日本的裁量でもって成敗致すと、ニヤリ一人悦に入っていたら、周りのフランス人は平日の昼間だと言うのに、みんな赤ワインを飲んでいて、オレの思考はもはや、南仏の広大な田園地帯で採れた葡萄を、収穫祭にフランス娘がキャッキャキャッキャと踏みつぶしている、そんなスケールが無駄にでかい牧歌的風景に飛んでいたわけで、現実の圧倒的な惨じめさの受け皿を、日本の第一次産業には無い明るさが、フランスという国の精神面の土台になっているかもしれないといった、聞いたこともない屁理屈に求めていた。



とはいえ、色々考えたが、結局のところ、フランス人もフランスパンには飽き飽きなんじゃねーのか、ほんとはよ、と穿った見方も思いついた。フランスというブランドを確立すべく、フランス人、必死なんじゃないのかと。実際は、オレにはわからないスラング交じりの日常会話で、「あー、もう、ワイン飲まないと、やってられないわ!!」とフランスパンを齧りながら、愚痴をこぼしているに違いない。じゃないと、やっぱり、勤め人が昼間から公然と酒を飲んでいる国の食文化はどうしても理解できない。私の血は赤ワインで出来ているとでも、フランス人は言ってくれるのだろうか。あー、言いそう。ま、ワインはいい。赤ワイン美味しかったし。でも、パンは許せん。もし、日本人が週一で寿司を食せば、贅沢者!などと糾弾、家の塀には「欲しがりません」などとグラフティが描かれる始末なのである。あるのにもかかわらず、彼らは、自国の文化を惜しげも無く、飽食する。信じられぬ。もし、彼らが喜んでフランスパンの洗礼を受けているとすれば、それはほんと信じられないことだ。どんだけフランスを受け入れているのだと。
ただ、オレのこの最後の受け入れられない文化の壁の向こうで、彼らは「oui」とか「je t'aime」とかの言葉を超越して、シャンソンをバックに、フランス文化と腰をあてがい、こってりとしたダンスを踊りそうで、恐い。
彼らにオレの「恥じらい」の叫びは届かない。



届かないと思う決定的要因。
それは、
パリのいたるところに
「PARIS」
のロゴの入ったグッズを見つけることが出来るから。
ジャケットやらトレーナーやらTシャツやらタンクトップやらネクタイやらハンカチやら靴下やら帽子やらリストバンドやらに、刻まれた「PARIS」を旅行者は否が応にも発見してしまう。5分に1度は、100Mに1度は、発見させられてしまう。
そしたら、もしかしたら、この国の人たちの、衣食住の文化における愛国心は涙が出るほど、本物なのかもしれない、と思うしかない。



彼らの怒涛のメンタリティーに拍手を送りたい。
オレは、カフェでビールを頼むたびに、フランスへ1ユーロのささやかなお祝いをささげた。
ムッシュは無言でその1ユーロをむしり取って行った。