手帳のはじまり

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GWはしょうもないことに向かわせるベクトルに満ちている、と書いたが、「手帳の使い方を勉強する」などといった行為は、まさに、そんなGWベクトルに乗っかってしまっているのかもしれない。CD→MDに落とすまでの間、オレは「フランクリン・プランナー」という手帳を組み立てはじめた。
「時間は限られています。ですので、仕事もプライベートも余暇も、時間を日々管理し、目標を達成しましょう」
みたいなことを説明書(CD-ROM)は言う。しかし、そんなキリッとした音声ガイドを聞いているオレはTシャツにジャージ姿で、どうもこの時点でダメなんじゃないかと思う。中途半端。暇を埋める為の達成感。オレはGWベクトルにまんまと乗っかっていた。



ただ、ありがたいことに、そんな不毛から思うこともあるわけで。



日々の行動を計画し実行する。
なんて、はっきり言って、超うぜー、以外の何物でもなかった。今までのオレの手帳には、バイトと飲み会の約束と、観た映画、読んだ本の記録しか記してなかった。
手帳に動かされる。それって、なんてセンスの悪い生き方なんだろうと思っていた。



しかし、そんな理想とは裏腹に、オレは忘れてしまう。あの映画観たかったー。とか、この本読みたかったー。とか、あの人と飲みに行きたいなー。とか、結構忘れる。正直。思ったときにすぐ行動すればいいのだが、別にそれだけが中心の生活をしているわけでもないので、後に回したりすることもある。仕事中にふと、ジム・キャリーの新作が観てー!と思っても、会社を飛び出して映画館に向かい、ホクホク顔でそのまま直帰出来るわけでもない。
重要じゃないけど、緊急なことだって結構ある。
携帯の振込みが今日までだった!とか、クリーニング屋が明日は休みだ!とか。
そこである程度の達成感と疲労感を味わってしまうと、本来やりたかった「ジム・キャリーの新作を観る」は、また今度、って話になる。
よくよく考えると、それの方がダサい。センスの無い生き方である気がする。



無計画であったが結局ばっちり嵌ることもある。それって結構気分が良かったりする。でも、そんなカタルシスを認めつつも、それ以上に「あれ、やっときゃよかったなー」などといったみっともない後悔をしている時の方が多かったりする。
手帳のことを考えていたら、そんな自分に気づいた。



ポジティブな空気に満ち満ちた手帳の使い方には、これからも嫌悪感を抱いてしまうだろう。でも、エンタメ方面でちょっとだけ助けてもらう、そんな使い方が出来るのなら、手帳のある生活を全否定することもないかなー、と思った。