AVのはじまり

昨日、飲み会に行ったのだが、そこでこんなことを言われた。
「エロビいっぱい持っているんでしょー?」
はい。持ってます。
その子はこのblogを読んでいて、オレ=AVという印象を抱いていた。映画とか本とかのこと、仕事のことや日常生活の疑問だったりもこのblogでは書いていたりもするのですが、なんだそうか。オレ=AVなのか。しかも、いっぱいのAVなのか。あはは。そうかそうか。
せめて、言い訳ぐらいさせて頂きたいと思う。たぶん、オレはいっぱいは持ってないと思う。千の単位、万の単位で持っている漢はたくさん居るだろうし、百の単位であれば、ざらに居そうな気がする。そして、残念ながら、オレは百の単位も持ち合わせていないですよ。
オレが新鮮に驚いたのは、AVを観る男子にいまだ抵抗感を覚える女子がいっぱいいることで、その飲み会に居た女子3名は「許せない!」と鼻息を荒くしていた。ふんぬー!と。
これは由々しき事態である。非常事態である。男子のAVライフの存続を欠けた戦争である。とオレ、勝手にブチあげてみた。というわけで、今回の焦燥感はAVというものを考えていきたい。



先ず初めに

「女子はAVが嫌いなのか?」

ということを解明していかなければならない。
なんで、女子は許せないのだろう。そこを探っていけば、AVというものが見えてくるかもしれない。
女子とAVを一緒に見たことがある。別にそれはオレの趣味からくる強制でもなく、ラブホで流れていたものでもなく、普通にチョイスし、一緒に正座してみた。や、正座はしてないが、その位の心構えで見た覚えがある。5分ぐらい見て、「ふーん」と言っていた。まあ、ハァハァされても困るが。別に毛嫌いするほどでもなさそうだ。ああ、こんなもんがあるのか。という認識をその女子はしていたのだと思う。
ここでこんな問題が出てくる。

「じゃあ、AVを見る男子が嫌いなのか?」

うん。これはありそうだ。「あたしという彼女が居ながら、なんでAVなのよ!」という女子が居た。いやいや。男子はねぇ、四六時中なんですよ。たぶん。夜ふかしして眠れなくなってAVを見る夜中3時もあれば、家でゴロゴロしていて横になりながらAVを見る夕方4時もある。いちいちこっちも志高くはいられないから、雑誌を読むようなお手軽さでもって、AVと向き合うわけなんですな。「なんでAVなのよ!」という女子はちょっと考えてみてほしい。どうだろうか?その都度、電話が掛かってきたら。逐一メールで今の欲情具合を説明されたら。オレは嫌だ。電話したら嫌われそうな気がする。いや、気がするではなく、確信。拒絶される。ちょっとメール送ってみようかしらん。などといった下らぬ冒険心すら湧いてこない。AVを見る男子に対し、不義理!と憤る女子の気持ちは十分わかる。十分わかるので、男子の気持ちもちょっとわかってほしいな、と。

「AVを好きなあたしを、あたしは認めない」

ここまでくると、一筋縄ではいかない。嫌いだ嫌いだと言っているのはポーズということになる。だって、はしたないじゃない。AVが好きだなんて。いやいや。そんなことはなくて。好きでもいいと思うんですよ。AV好きな女子。多分男子とは見方が違うから、興味深いか否か。という匠の視点でAVを鑑賞する。そんな女子、なんかいい。
「嫌いだ嫌いだ」と声高に叫ばれると、なんか男子はシュンとしてしまうので、ポーズであれなんであれ、あんまり言わないで頂きたいなと。何卒宜しくお願い申しあげます。
他にもこんな理由が考えられる。

「AVに出演していた」

…うん。あんまりAVの話に加わらないほうがいいと思う。

ビックカメラにAVがあると思っていた」

確かに恥ずかしい過去だ。これじゃ、D.T.の妄想力だ。

「イニシャルがAVだ」

どんな苗字だ。



人の数だけAVの理由がある。
それでいいじゃない。嫌い嫌いって言ったって、性欲は存在するのだし。セックスはするのだし。
今回こんなこと書いて、また「オレ=AV」の印象を強くしてしまったのだろうけど、ま、その定義はいいとしても、AVは許してあげてくださいよ。オレはオレで、AVを嫌いな女子の気持ちをもっと考えていきたいと精進する所存ですので。
AVをグレーなゾーンにおいといてくださいよ。はっきりと判断つけなくたっていいじゃない。一生AVを考察しますよ。白黒以外のグレーという多様性があるから、人生は美しいのだし。
最後の一文は或る作家先生の言葉で、ほんと感動的な言葉だなと思って、使ってみたくなりました。
ちょっと、文学の香りがするAVの話。
上手くまとまって、AVのイメージアップにも一役買ったと思う。