No.19

エターナル・サンシャイン」/脚本 チャーリー・カウフマン



オレはなんて都合のいい生き方をしてきたのだろう、と思った。
エターナル・サンシャイン」を観た。
乱暴にまとめるなら、甘い思い出と辛い過去に答えを出した恋人たちの話。



こう思った。
付き合い始めのあの甘酸っぱい感触をいつまでも保っていられるのなら、日々はとても幸せに包まれるだろうし、別れ際の散々な状況を忘れられないのなら、日々はとても耐えられないであろう。でも、オレは普通に生活をしている。思い出して一人悦に入るときもあれば、思い出して反省する感傷的なときもある。
あの時笑っていたのも本当だと思うし。理不尽だと思ったのも本当だと思う。どちらも本心であったから、今、こうして反芻している自分は、過去の自分を上から見ていて、わけしり顔で俯瞰していて、なんかヤな奴だ。
それでも、日々は過ぎていく。
忘れられればどんなに楽だろうと思う。ちんけな虚栄心を満たすべく、過去を俯瞰するオレは本当に救えないと思う。でも、そうでもしてないと、とてもじゃないけどやってられないのだ。
だから、彼らのように記憶を消そうをすることに同意する。そして、同時に消されたくないと思うのにも同意する。
オレは意地汚く過去を俯瞰とかする。俯瞰をしてしまう。まるで自分が成長したかのようにしてしまう。直視してなくて、ずるいなぁ、と、そういう自覚はあった。何を偉そうに過去を語ってんだ、と思っていた。でも、今は、俯瞰しているときは途上だと思って、誤魔化すことが正しいと思うことに決めた。恥ずかしいけど、そうすることしか成長は望めないのではないのだろうか。と思うことにした。オレは今、そんな手段しか出来ない。
「恋愛はタイミングだ」
そんな安っぽい言葉を今までは全く信用出来なかったのだが、「エターナル・サンシャイン」を観て、信じてもいいかなと思った。
恋愛がタイミングだとはなんて他力本願な哲学なんだろう、と思うのだけど、自力で解決するのなら、まず小手先のテクニックだけで乗り切ろうとする。反省もしないし、後悔もしないし、経験から学ぼうともしない。でも、自力だけでは、どうもうまくいかないことに気付く。今はたぶん、過去を顧みて、願うことしか出来ないと気付くのだ。そして、お互いがお互いを思って、お互いを赦すとき(「恋愛のタイミング」が合致するとき)、お互いは過去から開放される(映画的ではあるのだけど)。過去を振り返る俯瞰も、そう悪くはない、と思った。
嫌なことしか浮かばないかもしれないけど、そんな忘れられない深い傷をつけられるほど距離を縮めていたきっかけだってあるはずだ。そしてそれらは、全部その時正解だったのだろう。
エンドロールでBECKはこう歌った。

意識が変われば、世界が変わる

もっとオレは自信をもって、都合よく過去と付き合おうと思った。
むしろ、今まで以上に。
要は、どっちを信じるかで、今ここにある現在に、どう繋げるかなんだろう。