再開のはじまり

心置きなく仮眠をとることが出来た。2時間の仮眠を2回もとれた。今日は休みだったのだ。
今日が雨であったことでオレは後ろめたさを感じることなく、家でごろごろすることが出来た。家でごろごろするのは好きなのであるが、一応オレもいっぱしの社会人として、月曜のごろごろには、ちゃんと後ろめたさも感じたりすることの出来る人間だったりするわけで。それがまた、外出日和といわんばかりに晴れてたりすると、朝10時頃には、そわそわと居てもたってもいられなくなる。無目的なデジカメを握り締めて、オレは幾度となく歩き、疲れた火曜日を迎えていたのだ。なので今日は雨だから、ごろごろしてても致し方ないのである。と言い訳が出来る月曜休みです。
一昨日の日曜は良かった。日曜で晴れで、というのはいいものである。
オレは朝起きて、浅草に出かけ、高松宮記念を買って、ぶらぶらと浅草探訪をして、帰路についた。地元の駅でビールを買い、一本空けながら、歩いた。心地良い日差しに天を仰いだ。午後2時。まったく後ろめたくない。
今日は朝の10時ぐらいからウーロンハイを飲んでいたのだが、もうすでに反省会的な雰囲気がそこには漂っていて、なんだろうかこの違いは。このもやもやを打ち消すべく、部屋にこもって「ゼブラ−マン」のDVDを観たり、内田春菊の「私たちは繁殖している」を読んだり、フリッパーズギターの「海へ行くつもりじゃなかった」を聞いたりして誤魔化していたら、眠くなって仮眠をとったら、この時間ですよ。9時ですよ。
ちょっとかわいい反省をしているなぁ。と思っているオレは4月で社会人3年目に入りますよ。



今、今日何杯目かのウーロンハイを作っている。
いいちこの一升瓶は空になってしまいました。



何の進歩も発見も無いこんな日こそ、書き記す必要があると思う。
社会人3年目は休みの美学を追求していきたい。
「努力する美学」とか「長く残業する尊さ」などの前向きな精神面はとかく、世間や社会では評価されていて、うんざりする。オレが今日後ろめたいのも、多分他人を気にしているから。もううんざりだ。やるときはやりますので、ほおっておいてください。
人は疲れる。出来ることなら動きたくない。でも、それじゃはじまらないから、まあ、とりあえず、学んでみたり、働いてみたりする。
羨ましがられるほどのだらだらっぷり。オレがもくろむのはそこだ。そこに「努力」や「研究」を注ぎ込んでみたい。そしたら、前向きなベクトルもより強固になり、よりしなやかに伸びる。自分しか知らない素晴らしいだらだらが待っているなら、もっともっと無茶が出来る。



だらだらを責任を持ってまっとうしたい。だらだらにおいて信用されたい。上司が「今回はお前に任せた」と一人のびのびとだらだらしたい。
『休ませたら、あいつはすげーよ』
来年の今ごろはそんなことをいわれてみたいと思うのだ。



Plan-15「男前はだらしなさも極めている」



決して日差しを浴びたりしない後ろ向きな休みの美学を追求する、そんな「男前」もありだと思う。
まずは、仮説を立ててみました。
「男前計画」、再開です。