喚起のはじまり

忘れられない風景がある。
その風景は、夕焼けの土手であったり、誰もいない学校であったり、壮大な滝の水しぶきであったりする。忘れられない風景というものは、生活にすーっと忍び込んで、しばらく感傷にひたらせてくれた後、またどこかに行ってしまう。
オレは、忘れられない風景の美意識でもって、日々をデザインする。そして、どうせならいつも、忘れられない風景というものを抱きながら生活していきたいと思う。
ちょっと考えてみた。どうやったら、忘れられない風景をいつでも取り出すことが出来るのだろうか。
そんな感情のこもった風景。思い出す方法というものがなんとなくではあるが、ある気がする。
足跡一つない雪を踏みしめた時のサクッとした感触で、宮城にいた幼少の頃のあの公園を思いだす。しんしんと雪が降る誰も居ない公園で一人、その公園を独占し、雪だるまを疲れるまでつくっていた。そして出来もしないのに、かまくらの中で住んでみたいと本気で思って、自分の背丈ほどもある雪のかたまりをつくっていた。
マクドナルドのストローの口当たりで、小学生だったころを思い出す。塾の帰り、新御茶ノ水のマックに立ち寄ってシェイクを飲みながら、オレたちは歴史の年号当てクイズをやっていた。歴史の年号だけで、オレたちはマックに何時間も居ることが出来た。
蝉の音を聞けば、あの背中にはりつくシャツの感覚を想像して、高校の廊下を思い出す。
桜のあのピンクで、坂口安吾の「桜の樹の下には」を思い出し、坂口安吾にのめりこんでいた大学時代の自分の部屋に射し込んでいた日差しを思い出す。



頭の奥底にずっとしまわれていて、ときたま、ほこりをはらうようによみがえる忘れられない風景のことを考えたら、それを喚起してくれる『五感の存在』に行き着いた。



先週末、旅行に行った。
相当楽しい旅になる予感で、オレは彼らに「肉」を書こうと思っていた。そして、「肉」の文字を見るたびに、オレたちは2005年の3月を思い出すのだろうと思っていた。
しかし、「肉」という文字ににはもはや思い出がつまりすぎていることに、オレは気付いた。
「肉」→「教科書の落書き」→「小学校の時の風景」
もしくは、
「肉」→「肉まん」→「寒さに凍えながら、でも、ずっと話がつきなかった公園のブランコ」(妄想)
「肉」→「狂牛病」→「狂牛病の動きをマスターしようと、鏡の前で練習していた自分」
といった思い出がつまっている。
オレ達の旅行はきっとその後で、ああ。あったな。そういえば。の扱いになってしまうだろう。



困った。「肉」はありふれていたのだ。そして、オレは考え抜いた。そうだ。四人の中の二人は、この春社会人になる。オレ、思いついた。それは、



丸の内。



社会人になって、オレたちははじめて丸の内を知る。丸の内はおっさんの街だ。ああ、自分はおっさんなんだなと、丸の内の空気は教えてくれる。丸の内は息苦しい。その息苦しさは、仕事のストレスから来ていたりして、そんな現実を直視せざるをえない状況がきっと来る。学生時代に戻りたい、と切実に現実逃避したいと願わずにはいられない状況がきっと来る。そんな時、忘れられない風景が出てきて、感傷にひたることが出来たら、どんなに楽なんだろう、と思う。でもオレにはそんな泣きたくなるとき、感傷に浸れる五感の風景がない。



だから、旅行中の夜中、オレは二人におっさん臭のするオーデコロンをたくさん振りまいた。彼らは心底嫌がっていたけど、それは、オレが旅行の作法をわかっていなかったからわけではない。ふざけの度がすぎたわけではない。わかってほしいとは思ってないけど、でもきっと、彼らはいつかオレに感謝する日が来る確信がある。丸の内はきっと辛いことでいっぱいで、でも、丸の内に充満するオーデコロンの臭いをかいだら、2005年の3月の、高速で死にそうになったことや、風呂場ではしゃいだことや、Yさんの体型がマッチ棒並に細かったことや、すさんだパチンコ屋のことや、新越谷の雀荘のこととかを思い出して彼らはきっと頑張れる。楽しい週末を想像してそこまでは何とか生きていこうと頑張れる。
景色は映像に撮ることが出来る。
音は文章に残すことが出来る。
でも、においはモニターから漂ってはこない。



つまり、歳を重ねるとこんな言い訳が平気で出来るから、大人って素晴らしいことを彼らにわかってほしくって、つらつらと長文をつづってしまった。
社会の半分は冗談。
オレはこの春社会人になる彼らにこの言葉を送ろうと思う。
そしたら、オーデコロンの一件も笑ってすませられる。
というか、すませていただきたく思う。