街のはじまり

先日の日記で書いた街の話が、オレの中では未だ燻っていて、神奈川はやっぱり西東京ではない、とか思ったり、西東京は住みにくいとは言ったものの中野は住みやすい街なのではないか? とか思ったり、自分の言葉が、ブログというメディアを通して形になってしまい、思考は変化し流動していくものにも関わらず、ある程度の固定化を求められてしまうのは、非常に恐いことなのではないかとも思ったりもしました。
おそらく「街」というものは、オレにとっては「メガネ」に次ぐ、一生のテーマなのでしょう。宮城県出身(幼稚園年中まで)東京都在住のオレは、「ふるさと」的な哀愁は中途半端な気分でしかなく、皆さんより感度のアンテナは鈍いのだと思う。郷土愛も無い。だからこそ、「街」に意義を持ち出して、自分の頭の中で整理しておきたいのです。暴論上等。思いっきりはみ出して、少しずつ大人的なリアル修正を加えて、「街」を理解していきたいと思うのです。だから、末永く見守っていただけると嬉しいです。
今日、仕事で金沢八景に行ってきました。仕事が終わり観光でもしようかなと思ったのですが、
「ひとり八景」
は、非常に悲しい雰囲気と予想されて、オレは帰りました。そして、京浜急行に乗っていると、それが都営浅草線に接続するらしく、オレは浅草で途中下車しました。「ひとり浅草」とスーツのコラボレーションは、西日射し込む「ひとり八景」より、数万倍マシだと思われました。というか、「勝ち」だな、と。
今、浅草では素敵女子Uが働いています。オレは電車の中でそれを思い出しました。よし、Uに会いに行こう、と。しかし、残念なことに、Uが浅草の何処で何の仕事をしているのか思いだせません。オレは残念な人でした。
ただ、残念から始まる街もあるのです。彷徨いのはじまりです。彷徨っていると、Uが何屋で働いているか思い出しました。そして、店の場所も。ある程度に。
それはとても刺激的だった。コロンボで古畑だった。
遂にそれらしき店を見つけた。その店は、オレがいつも歩く浅草と、そう離れてはいなかった。だけど、新しい浅草の発見だった。仲見世通りからの浅草しか知らないオレにとって、雷門を正面から見る浅草は面白いし、浅草に居る人が、30%で外人なのが非常に痛快であった。(強烈に日本的な象徴なのに、日本人少なっ! 居ても50%でカメラを首から下げている)
店舗の前に佇むオレ、曇りガラスの向こうを覗く。Uは居ない。店内に進入。Uは居ない。
お兄さん「いらっしゃいませー」
当たり前だ。
1200円也。



六区ブロードウェイにお笑いの「ロバート」が居たが、オレはヌードシアターの「金沢文子」のポスターに興味津々だったので、スルー。
TVというメディアを通じての「ロバート」は大好きなのだが、現場の「ロバート」は見てたって、面白くないだろう。とは言ってもしかし、馬場チャンは意外にでかかった、という発見は、オレのマイ芸能人トリビアのNO.1になりましたが。
この商店街を抜けると吉原(ソープ街)に繋がっているという噂のひさご通りの途中で、「江戸下町伝統工芸館」に立ち寄る。入館無料。
「伝統工芸を今に伝えたい。腐らせてなるものか」という気概が感じられて、かなり好印象。伝統工芸は、羽子板とか、提灯とかの「風流」業界のモノかと思っていたが、それだけではなく、包丁やハサミなどにも匠の業が光っていて勉強になった。その中でも、



「ブラシ」



これが一番熱かった。
木の柄に固めの毛を埋め込んだブラシ。考えると確かに技術の領域だ。しかし、オレは技術云々以前に、館内にオレ一人しか居ない状況でありながら、オレは思わず「うぬーっ!」とこぼさずにはいられない、ある発見をしてしまったのだ。
匠が今に伝えたいという譲りの精神と、匠としての譲れない誇りとの葛藤をオレは発見したのだった。



「ボデーブラシ」



ボディーではなく、ボデー。
オレは嬉しかった。「デー」のところが、展示コーナーの中で、一番「匠」然としていた。そこは媚びなくていい。「匠」が「ディー」なんていった日には、浅草はとたんにつまらないものになるだろう。
そのほかにも
「ブラシ(キーボード用)」
などという、IT化への配慮も忘れない「匠」が居たりもして、油断ならない。隣に居るブラシと見た目そんなに大差ないのだが、細やかな「匠」的部分で、キーボード用なのだろう。一見の素人にわかるわけないのだ。
こんな「匠萌え」なオレが居た。伝統工芸の日常への浸透を切に願います。



そしてオレは、吉原に辿り着くことなく、浅草寺に戻る。浅草寺では、巨大な提灯を取り外している最中であった。クレーンで外される巨大な提灯。それは非常に美しい風景だった。
現代の「匠」こと建築業者が、スムーズに行う取り外しの光景。クレーンと提灯のコラボは、実に洗練されていて、風景以上の意味を持っていたと思う。



浅草というイメージに翻弄されて、ブラブラとルート観光していると勿体無いことに気付いた。彷徨った果てに見たのは、伝統という文化と寄り添う生活の知恵であった。縛られることの無い先進的知恵であった。



浅草的風景を求める客観的困惑を軽やかに超越する、その土地に生活する人ならではの行為。
興奮する。伝統や風習や雰囲気に縛られて鈍重になる暮らしを軽々と打開する真っ当さは、浅草という、特に「守らなければいけない」ことが多そうな街において、非常に刺激的であった。真っ当であることに、美学などいらないのだ。
伝統と現代が歩み寄った瞬間。
風景でない街が、そこにあった。