マーケティングのはじまり

マーケティング
思わせぶりな言葉である。
だいたい何をしているかがわからない。
わからないのに、やたらと偉そうである。
わからないから、偉そうに感じるのか。
まあ、そんなこんなで、その真意を探るべく、
私は今、マーケティングの研修を受けている。
研修を受けてみると、講師の先生の解釈もさまざまであり、
この「マーケティング」という言葉を説明するのは非常に難しいのだと感じた。
とりあえず、辞書を開いてみた。
手元の辞書では、どう説明しているだろう。

マーケティング
商品・サービスを市場に流すための企業の活動
(新明解 国語辞典 第4版)

心配である。
「市場に流す」
このあたりが心配だ。
なんだかこのエネルギーの淡白さでは売れるものも売れないのではないだろうか。
そんな心配をさせる説明である。

「売れる仕組みづくり」

これは学会(学会?)で用いられている解釈とのこと。


研修に来る先生方の説明で、気になる解釈があった。

「絆」

絆をつくれという。
なんだこの温度は。
努力・友情・マーケティング
違う気がする。
「オラにマーケティングをわけてくれ!」
いったいなにがしたいというのだ。
マーケティングといった冷徹な響きからは想像もつかない温度である。
正反対なそのあつさに、それはそれで心配になる。


戸惑う私を畳み込むように、先生は興味深いことを言う。
マーケティングは恋愛に応用できます」
いよいよ、わからない。
「恋愛には、ニーズ対応型とコンセプト提案型があります。これがマーケティングです」


思わせぶりなんてもんじゃない。
ここまでくれば、たいしたものである。
マーケティングを知れば知るほど、事態は混沌した様相を呈してくる。


横綱の土俵入りには、雲竜型と不知火型があります。
これがマーケティングです。


昭和のプロレスには、ジャイアント馬場アントニオ猪木があります。
これがマーケティングです。


テキストサイトかweb日記かでいうと、
マーケティングです。


よくわからない言葉がある。
よくわからない言葉をつくりだした挙句、
その意味に迫っていく状況がある。


何を目指しているのかよくわからない。
しかし、とりあえずやってみることが大事なのだろう。
遠回りすること。
そのことに意味がある。


言葉にしてみる。
「昨日は家でゴロゴロ、マーケティングしてました」


動いてみる。
マーケティング10km」


考えてみる。
「どうやら、マーケティングは運動ではないらしい」


相談してみる。
マーケティングしたことあるか?」
「オレはないけど、ほら、高校の時の、樋渡、あいつ今、マーケティングしているらしいぞ」
「ああ、樋渡ならマーケティングしてそうだな」
「ああ、樋渡だからな」


そして、いよいよ、よくわからない言葉が、実態を帯び、
もっともらしい解釈に落ち着く。



樋渡はマーケティングです。



研修は2月まで続きます。