ボトルのはじまり

ほんとにこれはあったのだろうか?
夢でみたことと現実が混同しているのでないだろうか?
ほんとか?ほんとなのか?
記憶された経験が、本当は妄想もしくは夢でみただけの出来事で、実際には起こってなかったりする。そんなことってないだろうか。
普段、コンピュータプログラマの仕事をしていて、裏ではハッカーをしている私は結構ある。
そのことについて色々考えていたんです。そしたら先日、この世界が実はコンピュータが創造した架空世界で、実際は彼らが造り出した巣のなかで私たちは夢をみていることに気付きました。
んで昨日。美女とかクンフーとか予言者とか救世主だとか愛とかで世界を救ってきました。みんなに言うとパニックを起こすと思ったから黙ってましたけど、屋上でサングラス掛けた悪いひとたちが撃った銃弾を交わしたところとか、是非お見せしたかった。すごい仰け反っていたデスヨ私。


というような、なにかの映画でみたような物語が、あたかも自分の経験であったかのような感覚に陥る。
ただ、上のようなスケールの大きいものであれば、まだいい。私もそこまでバカじゃない。それが何かからの引用だということにはなんとなくではあるが気がつく。多分私は世界を救えない。
じゃあ何が困るって一番困るのは、もっとスケールの小さい日常的の延長のようなことである。
例えば、上司を思いっきり罵倒している私や、気になるあの子に告白をしている私、カラオケで全裸で歌う私などの記憶。やろうと思えばやってしまったかもしれない。いや、でも。流石にしてないよな。実に生き急いでるよなあ。やっていたら困るなあ。困るよ私。会社いけないじゃない。メール打てないじゃない。カラオケ行けないじゃない。でも会社いかないとな。連絡だってとりたいし。できたらカラオケにも行きたいし。
現実の生活に困惑を持たらすそんな感覚。
そんな感覚の中、私は日々自分の記憶に軌道修正を加えながら、生活しているのである。


先日私は、はてなで知り合った人たちと飲んできました。
D面子四男であるid:kenwatanabeさんが幹事で、
彼の友達であるid:okiku511さんとid:yosuiwatanabeさんに会ってきました。
とても楽しい飲みだったことは記憶している。
二人とも私の思い描いていたイメージ(修行僧とロン毛)を大きく覆す好青年で、リアルはよいね。リアルは。と思ったのでした。
そして私は、彼らとまた飲みたいと思っている。


しかし、あくる日の朝。
目覚めた私の鼻をついたのは、ピリッと香るスパイシー臭。
部屋を見渡すと何故かロール状のトイレットペーパーが転がっている。
戦々恐々とトイレに近づく私。
そして、
リバースの残骸。
メインのリバースはなんとかアレにインしたようなのだが、
サブリバースたちがちょっと床に残っていた。
日曜の朝6時半。
私は念入りに掃除し、むしろピカピカに仕上げ、仕事にむかったのでした。サンポール芋焼酎の香りを漂わせて。


そんなに飲んだだろうか。ちょっとわからない。
そして、私はまたあの感覚に陥る。
店内を駆け回ったりしていないだろうか。椅子の上に立ち、熱唱してはいないだろうか。密かに練習していたポップスターの振り付けを、完成途中の中途半端なカタチで披露して、気まずい空気を運んではいないだろうか。


やっていてもおかしくない。
楽しかったというポジティブな感情に反して、思い出されるのは、痛々しい私という記憶の数々。


今回ばかりは「あの感覚」がもらたした記憶であることを願う。
ほんと願わずにはいられないのだが、その店で頼んだと思われる芋焼酎のボトルが私のバックに何故か入っている現実。
ええ、あの感覚はあってますよ。
と諭す現実!


ゴキゲン過ぎる! ハジケ過ぎてる!
どうやら、この件に関してはあきらめなければならないと悟った。