パッケージのはじまり

こうやって文章を公開していると、ある程度、言葉を見栄えのいいようにパッケージングしたくなる。伝えたいメッセージを受け取って貰うべく、響きの良い言葉であるとか、リズムの良い文章とかを考える。この文章は受け取る側がどう思ってくれるのだろうか、と、そんなことも考える。難しいのはバランスで、テーマがストレートすぎても、パッケージが厳重すぎても、サクサク読める読み物としてはダメな気がする。自覚しているのだが、時にオレは、パッケージのデザインに力が入りすぎてしまう。言いたいことがしっかりしているときに限って、パッケージに特に力を入れてしまう。受け取ってほしいがために、幾重にもパッケージングしてしまい、そのブログのテーマは着目されないまま、時は流れ、次の更新日を迎えてしまう。剥き出しのテーマは恥ずかしい。が、テーマに目を向けられないのはもっと恥ずかしい。
そこで登場するのがパッケージングの技術である。



と、ここまででちょうど400字。原稿用紙1枚分である。
ふざけているわけではない。
オレはパッケージとテーマの分離を目論んでいる。
ちゃんと包装された、箱の、中ではなく、影に隠れたその向こう側に、テーマを明らかにわかるように置いておきたい。
パッケージはパッケージで。テーマはテーマで。規定された分量で、きちんと住み分けが出来るのなら、その断絶っぷりは結構面白いではないかと思うのだ。



結局、何が言いたかったのかと言うと、



一週間ばかし、フランスに行くことになりました。



ほら。
全然、関係ない。



どうだ!と言わんばかりの佇まいですが、書いてみて、こんな前振りだと誰にも何も伝わらない。ということは瞬時にしてわかりました。伏線を張ることの大事さがわかりました。




とか何とか、反省している素振り(パッケージ)を見せつつ



舞い上がっている。



一ヶ月後の話なのに。
一週間だけなのに。
なんだか盛り上がってしまって、すいません、と謝りたかった本日の更新です。