煮詰まりのはじまり

煮詰まっている。
昨日、ツタヤで久々にAVコンボをかましたりしているぐらいの煮詰まり具合だ。そして今日、今年はじめてアルコールを一滴を飲まない夜をむかえている。
「考えなくてはならないが、ちょっと億劫なこと」と「考えなくてもいいのに、やってみたくなること」の間でオレは日々生活していきたいと考えてるのに、気がついたら「やらなくてはならないこと」に八方を囲まれている。じゃあ、せめて優先順位をつけてみよう、と前向きになってみたところで、そもそも「優先順位をつける」ということは、考えたくないことの全容を明らかにすることなので、結局考えなくてはならなくて、無理!ちょっと今は無理!と非常に煮詰まっている。
タバコが切れたので、外に買いに出た。
ドラマにでも出てきそうな「気分転換」の象徴。そこに活路を見出していて、すっかりイタイひとであるのだが、まあ、仕方ない。タバコが切れてしまっては、タバコから思考が先に進まないのだから。
オレの家の近くには公園がある。外に出たついででオレは公園行った。桜が咲いていた。
オレはタバコをアイスコーヒーで一服する。
なんだコレは。
トレンディードラマか。
すっかりと安っぽさのスパイラルに陥っていた。公園に居る時点でその自覚があった。しかし、オレは煮詰まっているので、何が安っぽいのかも判断がつかないことになっていた。
まあ、いい。
何せ煮詰まっているのだ。煮詰まっている時は、公園でベンチでタバコでコーヒーで夜桜で一人でいるのが正しい煮詰まりというものだ。公園に居たって、こたえは全然わからないし、そもそも、何も考えないでぽけーっとしているだけだ。何も期待できない行為。ただ、オレは煮詰まりの人と化して、夜の公園でオレの煮詰まりを表現していたに過ぎない。



遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。
なんか安心した。オレの知らないところで、オレより煮詰まっている人はたくさん居る。煮詰まりの表現として、罪を犯してしまう人だっているのだ。
公園が近くに会ってよかった。
公園が感傷の記号でよかった。
夜の公園でタバコ、なんてシチュエーションで一応誤魔化せているオレは、まだまだ大丈夫だ。




サイレンの音がだんだんと大きくなってきている。
なんだ。近くか。
そんなことを考える、夜の公園に上下ジャージでニット帽の男。
ん?
オレ?
オレなのか?
パトカーはオレに迫ってきているのか?



よくわからないがオレはすぐさまベンチを離れ、公園を出た。
家に帰る途中、ちょっと走った。
ドキドキした。
明らかに煮詰まっていた。
家に着いて思った。
何故逃げたのだオレは。



またひとつ煮詰まりの要因が増えた今日この頃。
ひとつわかったのは、煮詰まるとロクなことがないということ。
対処したところで煮詰まっているのである。
自分が煮詰まっていると気付いたら、そしたら、あまんじて煮詰まるしかないのである。
煮詰まりの負のスパイラルに巻き込まれるのみが、平穏への道なのだ。