Cメールのはじまり

auユーザーの方なら「Cメール」という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。auユーザー同士でやりとり出来る例のアレだ。
何千文字もの文章を携帯電話で送受信できる時代に、Cメールは存在している。
最大文字数50字。
きょうび、50字以内でメールを作成し要件を伝えるぐらいなら、電話で済ませた方が早くて、スマートだったりする。もしくは、50字をはみ出してでも、
『(@_@)qフムフム』
ぐらいのゆとりは見せたいものである。
こうなってくると、Cメールのメリットはもう安さぐらいしかなくて、でも、その安さを選んだときに失うものは、その差額以上に大きいと思うのだ。
Cメールの存在意義はもはや、『ポケベル時代の携帯電話の栄光』でしかないと思うのだ。



で、そんなことをのたまいつつ、オレはCメールを使う。
それは、頑なにCメールを愛用する女の子が居るから。女子には従順なオレだ。CメールにはCメール。CメールにEメールでレスするのは無粋であると思うし、Cメールの存在意義が見出せないオレからすれば、Cメールを使う行為に「安さ」以上の意味を深読みしてしまう。
結局深読みしても答えは見えないので、事荒立てずの精神でもって、オレはCメールでレスをする。
そこで立ちはだかるのが、件の50字制限。
時候の挨拶すら許さない緊迫した状況で、オレは女子とメールする。
んで、だいたいオレは余計なことを書き、その余計なことを伝えたくてしょうがなくなって、冒頭を『了解』などという、まるで軍人の連絡事項にしてしまったあげく、今日遭遇したおっさんの話を、脈略なく始めるのだ。
これじゃだめだと思う。
素敵おっさんの話は、電話ですればいい。いや、電話かけて、素敵おっさんの話をしたらひかれること請け合いなので、今度会った時にしよう。御飯食べて、コーヒー飲んでいる時にしよう。いや、コーヒーがまずくなる可能性も拭いきれないので、別れ際、ここぞという別れ際に、切り出そう。「あ、あのさ」で。「ちょっと思ったんだけど……」で、素敵おっさんの話。うん。上手くない。対面でおっさんの話は良くない。見ず知らずのおっさんの話を別れ際に聞かされる女子。いや、そもそも、オレもそのおっさんのこと、知らないのだ。なんという不毛。あ、でも、ちょっといいかも。と、よくよく考えてみたら、「Cメール」と「素敵おっさん」は『存在意義の不明』というイコールで結ばれ、あながちCメールで素敵おっさんの話をするのは、悪くないと思うのでした。



……何の話だ。



ともかく、Cメールはこんな思想ですら、伝えることが出来ないもどかしさがある。多分50字にすると
「Cメールは無意味で、オレはおっさんが好きで、そんな不毛さにおいては、Cメールはおっさんと同じなのでR」
となり、ますます意味がわからん。



というか、
「R」。



今日、文字数をどうしても削れなくて、語尾が「R」。
50字制限はオレのボキャブラリーを超越し、思いもしなかった昭和軽薄体を引き出してくれた。文章を削いで削いで削ぎまくった後に昭和軽薄体が出てくるのなら、オレはオレの可能性を愛しく思う。
Cメールの存在意義は、そんな可能性と共にあるかもしれない。
だから、平気。



「R?は?」
そんな女子のレスすら愛おしい。