覚悟のはじまり

忙しい。
とか言ってみる。
いや、「忙しい」とか進んでおっしゃる方ほど、ほんとはそんなに忙しくなかったりして。なので、今ブログを更新しているオレはそんなに忙しくはないのですが、でもオレにはその忙しさは手に余る感じ?でも、そんなことを言うぐらいなら、明日とか明後日やれば?早起きすれば?って結論に行き着くのは目に見えているわけで、ただ、早起きはあんまり気が進まないし、明日明後日の予定を立てられるほどの余力もないので、オレは、ここ最近「忙しい」は勿論のこと、余計なことを言わない日々を過ごしていたのでした。そうしたら、ブログで何書こう?とか思わないじゃないの。んで、帰りがおそくなって、書けないことがストレスに感じることがなくなるじゃないの。生きることが最優先。余計なことを考えない無言の日々。
そしたら友人Y君から安否確認のメールが。
というわけで今書いています。なんのオチの当てもなく。
オレ、生きてます。



最近よく考えていることと言えば「時間」。
いつか「時間」に対する考え方を言葉に出来ればいいと思う。物事に対するひねた見方とかふざけた見方とかは大好きだけど、「時間」だけはそんな論調は許さないらしく、全く持って生真面目な姿勢を誇示している。
「時間」のことを考えまくったたオレはなんだかんだで、たぶん結局『時間はつくるもの』とかいう前向きなんだか後ろ向きなんだかわからん言葉を、いつかは言ってしまうのだろう。己の胡散臭さに苦虫噛みながらも。
こんな、「時間」のことなどを苦渋に満ち満ちた振りして考えてしまうのは、満たされている証拠なのだろうとも思う。いろんなことやりたいし、たくさんの人と出会いたいと、とても思う。でも「時間」は能力や哲学に関係なく、関係をせまってくるものだ。
「時間」のせいにはしたくないと願いながらも、オレは少しずつ失っている。そんな気がする。



焦燥感が加速する日々。



そして、加速する「時間」が同時に、失いの「時間」だったりして、オチの無いブログなどその最たるものだと思うのだ。
「時間が解決してくれる」
そんな非力な言葉だけが今、オレにとって唯一の救いだと思う。しかし、その一方で、そんな悠長な「時間」の捉え方は多分間違っているとも思ったりもしているのだ。



長い年月が信頼に結びつくとは限らない。



更新をサボっている間、オレはそれを学んだ。
オレ、覚悟した。
思っているほど、「時間」は融通が利かないから。