観察のはじまり

それは、「ごっそり」というのにふさわしい行為であった。



改めて言うが(というか、初めてだが)オレはおっさんがかなり好きだ。おっさんは楽しい。スパイシーな加齢臭とともに繰り出されるこの世の終わりを告げるかのようなオヤジギャグ。
おっさん好きなオレは、飲みに誘ったりもする。
「今日、飲みに行きませんか?」
「月曜日はのーまんでー」
飲まん、と、MONDAY、が掛かっているのである! 
そしてオレが、だからどーした?という顔をしていると、
「月曜日はのーまんでー」
2回、言う。
自信を持って、2回、言う。
そして、結局飲むのだ。最終的には眠くなるのだ。



かわいいじゃないの、おっさん。オレはそんなおっさんを眺める度に、癒されているのです。
そんな稀代のおっさんウォッチャーであるオレですが、先日こんな素晴らしいおっさんに出会いました。



帰りの電車内、彼はいつの間にかオレの隣に座っていて、おもむろに東スポを広げ始めました。もうその広げ方といったら、いっぺんにそんなによめねーだろ!っていう位の広げっぷりで。でも、そんなおっさんは、腐るほど居る。というか、腐っているので、ドラマチックウォッチャーのオレは、彼の存在をむしろステレオタイプの「ただの迷惑なおっさん」のレッテルでもって、鬱陶しいと感じていたのでした。もっと、面白いことをしろ!おっさんだろ!その禿げ散らかし具合はギャグなんだろ!と憤りを感じていたのです。
と。ここまでオレが思いをめぐらせていたとき、彼は東スポをおっさん達のトラディショナルな読み方である「縦4つ折り」を始動させたのです。よしよし。これで、ただ迷惑なだけの行為への怒りをリセットすることが出来ると思いました。そして、オレはチラッと彼を見やりました。



彼、鼻をほじっていました。
いや、それは、「ほじほじ」なんてかわいい代物ではなく、「ごっそり」というのにふさわしい行為でありました。突貫工事でした。鼻クソという「源泉」を掘り当てるべく、ショベルという名の人差し指を第二間接まで挿入しておりました。つまり、「縦4つ折り」は「工事中」の縦看板よろしく、おっさんがみせた思いやりなのでしょう。隣のオレには丸見えでしたが。
そして、彼、「源泉」を掘り当てられないようで、3分ほど「工事中」。終いには、どうしても掘り当てたいようで、ハイパワー専門の親指を投入。そのときには、東スポはどうでもよくなっていたのか、工事の様子が生々しいライブ映像として、車内に放映されていたのでした。
そして、遂に掘り当てた「源泉」。オレは正視に耐えなかったので、その「源泉」から、彼の工事から、目を反らしていました。
これは、恥ずべきことです。「おっさんウォッチャー」として、こんなチャンスを自ら避けるとは、本当に恥ずべきことです。
反省したオレは、すぐに思い改め、彼を再度見やることにしました。チラッと。そして大胆に。



もぐもぐ?
もぐもぐ!!!
彼、口をガムを噛んでいるかのように、もぐもぐしておりました。今、彼の口にインしているのは、おそらく「源泉」。間違ってもクロレッツとかではないことは、即座に確信した。ここは、オレのウォッチャーとしての勘を信じて頂きたい。
そして、また彼は、工事を始めた。
久しぶりに吐き気を催した。オレの無駄な妄想力が、彼の「源泉」の味を想起することを止めなくて、自分のエンドレスな吐き気に殺されそうになった。
やばい。このままじゃ殺される。
オレは、真っ青な顔でそう思った。
そして、殺される前に殺してやろう。
瞬時にそう思い、オレは彼を殺しても許される理由を6つ目まで考えた時、彼は電車を降りてしまった。



おっさんの引き出しの多さを認識した1月の終わり。おっさんの使い方一つで、それは薬にもなるし毒にもなる。
そんなことを考える2005年。
もしかしたら、おっさんは、隣に居たオレに「突貫工事」という行為を通じて、哲学の場をプレゼントしてくれたのでは?というところまで考えてしまった。
オレもいつかおっさんになる。期せずしてなってしまう。「自分は若いのだ」と思っていても、口に出てしまう「とんでも8分、歩いて10分」に気付いた時、その時はもう、学ぶことをあきらめよう。そして、オレは若い人達に長く生きた分の経験を、惜しみなく提供しようと思う。
だから、オレの隣に居たおっさんが、鼻の穴にごっそりと人差し指を突っ込んで掘り出していたのは、もしかしたら、先人の知恵かもしれない。



でも、やっぱり、見ず知らずの若者にあげるのが惜しくなっちゃって、食べちゃったのだと思う。
そう思いたい。