あきらめのはじまり

「1日で、1万なんだぜ、俺は!」
T先輩が、飲みの席でこの言葉を言わない日はない。
1万がどのぐらいすごいのかわからないが、T先輩の語調にスケールを感じ、
「でかいなぁ〜」
と、オレは、やや「感嘆」寄りの「敬意」や「謙遜」が入り混じった曖昧なニュアンスで返す。
考えてみると、でかいでかくないの話ではないのだが。



T先輩は大学の2つ上の方で、高校が同じで、学部学科が一緒だった縁から、仲良くさせてもらい、卒業後も関係は続き、先輩関係に乏しいオレであるが、唯一「先輩」と認識している人物だ。
そんなT先輩は今、商業施設が駅周辺のみに乱立する都内I駅で、ティッシュを配る仕事をしている。
「1万さばけるのは、あそこらへんでも、俺だけじゃねーのか?」
T先輩は俳優志望で、演技の勉強を大学でしていて、学生だった頃のオレは、中庭でひとり上半身半裸で得体の知れぬ舞いをするT先輩に、色んな意味で目を奪われていた。
そして、T先輩はさんざん一人で喋って、終電までには絶対帰る。
いつも奢ってくれるので、「1日1万」の話は、嘘ではないのだと思う。
まあ、すごいかどうかわからないのではあるが。



先日、I駅に用事があって立ち寄った時、偶然にもティッシュ配りをしているT先輩を見かけた。声を掛けようと思ったが、「1日1万」を見てみたくて、ウィンドーディスプレイに腰掛け、しばらく眺めてみることにした。



「1日1万」



なにせ、万だ。10を1000回だ。100を100回だ。5桁の重みだ。オレは、それなりに早く配るのだと思っていた。両の手の指の間という間にティッシュを挟みこみ、配りまくるのだと思っていた。
しかし、T先輩は違った。
ものすごく遅い。遅すぎる。そして、モーションがものすごくでかい。
ティッシュを持った右の手を天高く上げ、深々と最敬礼しつつ、その手も同時に下ろす。しかも、T先輩はその時、ティッシュを見ていない。
やりすぎだ。と思った。
それは、やりすぎだよ先輩。



しかし、それは素人考えだった。
T先輩が差し出したティッシュは、95%以上の確率で、相手に受け取って貰っている。
まさに、入れ食い。



なんだこの異様な打率は?
自分に置き換えたとき、ティッシュ配りのティッシュをとらないことなんて、多々ある。
オレは、先輩の動きに目を奪われいた。先輩は確実に捕らえていく。そして、しばらくして気付いた。
ティッシュ配りは普通、ササッと配る。軽快なスピードが身上。ダメならダメで、次の人、次の人。そして、回数を重ねていく。それが、ティッシュ配りってものだ。事実、先輩の「1日1万」に、オレが浮かべたイメージのベースには、ある程度のスピードがあった。ティッシュ配りは街に溢れている。I駅しかり、S駅しかり。そして、みんなある程度画一された動きをし、渡す者受け取る者の間に、暗に了解されたタイミングがある。タイミングが合えば受け取るし、合わなければ、諦め、気にもしない。そういうものだ。「そういうもの」という認識された行為が街に溢れている。その行為は見慣れた風景と化す。その暗黙のルールの中で、T先輩は明らかに異質だ。ティッシュ配りという風景が、「行為」として認識してほしいと叫ぶが如き動作で、その存在を訴える。そして、その違和感に人は、従順に、「モノを渡す→モノを受け取る」の図式を完成させてしまうのだろう。



オレは腰をあげ、T先輩に近づく。T先輩は、オレに気がつかずに、普通にティッシュを配っている。ものすごい違和感に目が離せない。振り返る人もいる。T先輩の元に辿り着き、先輩に声を掛けようと思ったが、先輩はオレを「後輩のオレ」として認識せずに、オレにティッシュを配るモーションをし始めた。
そわそわさせられる緊張感を伴って手渡されそうになるティッシュ
手に汗握る展開。
早く汗を拭いたい!そのティッシュで。
そして、T先輩はいつもするように地面に顔を向けて、オレにティッシュを渡す。
オレはそれを受け取る。
いや、意識的に能動的に「受け取る」ではなく、強制的に受動的に「受け取らされる」。
オレは、受け取らされたティッシュを確認した。



3個。
ズルじゃーん!



先輩の休憩時間に近くの公園で、少し話が出来た。
そこでは、先輩の打率やモーションについての話をして、相手に全面的に敬意を表するなかなか充実した時間であった。そして、その勢いでオレは「でも、3個はズルですよねぇー?」と、冗談まじりに言った。
ちょっと空気が変わった。
T先輩はゆっくりとタバコの煙を吐き、こう言った。



「大人になるってことは、あきらめることなんだよ」



Plan-10「男前は、あきらめる」



T先輩は、オレの知っている男前の一人だ。T先輩には「華」があり、現にI駅ティッシュ配りのトップランナーであると思う。そんなトップランナーもあきらめるのだ。
ティッシュを配ることをあきらめているのか、3個配ることをあきらめているのか、わからないが、とにかく、あきらめる前進があることをオレは知った。
好奇心に負けたオレは更に突っ込む。



「あきらめると何があるんですか?」
「わかんねぇ」



あきらめた後の荒廃が、「華」となる要素なのだ。
多分、T先輩はこういうことを言いたいのだろう。
と、ここは最大限に前向きな解釈をしておきたい。
うん。きっとそうだよ。
そういうことにしておいてください。